「性悪説」という言葉をご存じでしょうか。実は本来の意味は「人は悪者だから疑ってかかりなさい」という意味ではないのです。ここでは性悪説の正しい意味や由来について解説します。また、反対の意味の言葉でもある「性善説」との違いも見ていきましょう。
「性悪説」の意味とは?
「性悪説」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。哲学的な言葉であるため、わかりにくい印象がありますよね。難しい言葉だと敬遠していた方も、きちんと理解すれば難しくない言葉だと感じるでしょう。ここでは、言葉の意味と「性悪説」を唱えた思想家について解説します。
「努力することで善は獲得できる」という意味。
「性悪説」とは「人間は皆努力することで、善を獲得できる」という意味です。性悪説について語られた書き下し文を紹介します。「人の性は悪なり、その善なるは偽なり」。これを現代語に訳すと、人間の性質は本来「悪」である。それを善にするのは、人間の意志で努力をすることの結果である。」これが性悪説の根本的な意味になっています。
中国の思想家「荀子」が性悪説を唱えた。
「性悪説」をとなえたのは中国の思想家「荀子」です。「荀子」は、「人間は主体的に努力することが何よりも大切である」という考えをモットーとしており、この思想は彼の書物にもまとめられています。その書物は「荀子」と呼ばれ、その中に後天的な学習の大切さを説明する性悪説が解かれています。ここで大切になってくるのが「性悪説」は「全員悪い人」という意味ではなく、「誰でも後天的な学習によって、より善い人になれる」という考え方です。非常に重要な考え方になりますので、ぜひ覚えておきましょう。
「性悪説」の読み方
「性悪説」は「せいあくせつ」と読みます。 「悪」は言わずもがな悪いという意味ですが、「性」はどういった意味でしょうか。「性」の漢字には「生まれつきの性質、持って生まれた性分」という意味があります。 このような意味の漢字から「性悪説」は成り立っています。
「性悪説」の由来・語源
「性悪説」の由来や語源について解説します。ここでは、性悪説とはどういった主義から生まれているのかについてと、「悪」という言葉の本来の意味について紹介します。性悪説を説いたのは、中国の思想家「荀子」です。彼が大切にしていた思想として、「 主体的に努力することが大切である。」という考えがあります。こういった思想からどのように性悪説に繋がっていったのか見ていきましょう。
「性悪説」の由来は「努力主義」から
「性悪説」の由来は「努力主義」から来ています。かんたんに説明すると「人間は誰しも頑張って努力することで、後天的に聖人になれる。」という考え方です。 これは荀子独特の考え方で、彼の先輩にあたる孔子や孟子とも若干異なる考え方を持っていました。また古代中国では、「災害は天からの意思表示である。」という考えが主流でしたが、人間の後天的な努力主義を主張する荀子はこの考え方を真っ向から否定しました。彼の考え方を現代的な言葉にすると「努力は必ず報われる。」といったところでしょうか。荀子は現実を変える努力の大切さを説く思想家だったのです。
「悪」とは「弱い存在」という意味
「性悪説」の「悪」とは「悪い」という意味ではありません。初めに紹介した性悪説の意味でも「努力することで善は獲得できる。」となっており、「悪い」というニュアンスはどこにも含まれていません。実はこの「悪」とは「弱い」という意味なのです。 性悪説の意味を「人間は生まれながらにして人を傷つける、道徳的に劣っている」のように勘違いしている人も多いようですが、これは誤った理解です。荀子が唱えた性悪説は「人間は生まれながらに無力ながらも、後から努力をすることでいろいろな能力を獲得できる。」というニュアンスを持っています。勘違いしやすいポイントであるため、注意しましょう。
「性悪説」と「性善説」の違い
「性悪説」と一対の対義語をなす言葉に「性善説」があります。「善」と「悪」という漢字が入っているため、明らかに反対の意味を持つことがわかります。この2つの言葉に共通するポイントは「人の本性に対する考え方」です。人間は生まれながらにして「悪である」と見るのか「善である」と見るのか。そこが大切なポイントになります。ここでは「性善説」と「性悪説」の立場の違いと、2つの言葉に共通する目標について紹介します。
「性悪説」との違いは「人の本性に対する考え方」にある
「性善説」の言葉の意味は「人は生まれ持って善である」になります。この言葉の意味には続きがあります。「その前は継続する努力によって開花される」 つまり、「性善説」も「性悪説」と同じように、人は絶えざる努力をすることが必要であることを伝えています。性善説の場合は「努力を怠った場合、悪に向かっていく」という考え方もできるため、性悪説との立場の違いは「人の本性に対する考え方」になります。「性悪説」は海抜0メートル地点から必死に上へ上へと山に登っていくというイメージ。「性善説」は高いところを飛んでいる鳥が地面に落ちないように必死に羽ばたいているイメージになります。
どちらも目標は「立派な人間になろう!」
以上のことをまとめると「性善説」も「性悪説」も伝えたいことを同じで、「必死に努力をして立派な人間になろう!」というところにあります。伝えたいことという観点では、性善説と性悪説は類義語であると捉えることもできそうですが、言葉の定義上、この2つは対義語になっています。 2つの言葉の差をもう1つ取り上げるならば、「性悪説」の方が後天的な努力の重要性により重点を置いている思想になります。このように2つの言葉の本質的な意味の違いを徹底的に掘り下げることは、言葉を学習する上でとても大事な作業になります。
「性善説」の考え方
「性善説」は中国の思想家である「孟子」が唱えた思想です。ここでは孟子が示した教訓についてと、ビジネス上で使われる「性善説」意味の違いについて解説します。フィールドが変わると意味も変わってくるのが、言葉の難しいところでもあります。
「孟子」が示した「性善説」の教訓
性善説を唱えた孟子は、「生まれ持った悪者が誰もいない。だから悪に染まらないよう学問に励み、努力をすることで人間誰でも聖人になれる。」という思想を持っていました。孟子は人間誰しも「四端」を持っているとしています。「四端」とは「仁義礼智」のことを指し、「仁」は「憐れみの心」、「義」は「自分の不正を恥じる心」 、礼は「人を思いやる心」、智は「物事の善悪を判断する心」に当てはまります。孟子の考えとして、「これらは生まれ持ったときは小さいが、人間誰しも持っているもの」としています。この「四端」を学問によって成長させることで、より聖人に近づけると説いています。
ビジネス上の「性善説」とは意味が異なる
ビジネス上の「性善説」は孟子が説いた「性善説」とは似て非なるものなので、注意が必要です。ビジネス上の性善説とは「他人を善人だと仮定して、信用して接していくこと」を指します。これは性悪説でも同様で、ビジネス上の性悪説は「他人を悪人だと仮定して、疑いを持ちながら接していくこと」となります。元々の意味と、言葉が持つイメージから後付けでついた意味の2つがあるので注意しましょう。ビジネスシーンでこれらの言葉を使われたら、中国の思想家達の定義ではない可能性があることは覚えておいてくださいね。
「性悪説」を英語でいうと?
「性悪説」の英語での表現方法を紹介します。 性悪説を英語に訳すとどうなるのか見ていきましょう。
「cynicism」
「性悪説」を英語に訳すと「cynicism」となります。この単語の他の意味は、「冷笑」や「皮肉癖」となり、明らかに悪い意味が並びます。この言葉に「後天的な努力が大切」というニュアンスは含まれていないので、完璧な対訳とはいえないでしょう。
「evil」
もう一つの「性悪説」の英訳として「evil」があります。この言葉ひとつで性悪説を意味するのではなく、「belief that human nature is fundamentally evil」という文章で訳されます。直訳すると「人間は生まれながらにして悪であるという信念」 になります。ここで「evil」の日本語は気になるところです。「evil」の日本語訳は「 悪い、よこしまな」という意味になるため、この訳も荀子が説いた性悪説の本質を表現するには及ばないでしょう。古代中国の思想を文化圏が全く違う英語で正確に訳すのは、難しいことがわかりますね。
「性悪説」の使い方と例文集
ここでは「性悪説」の使い方と例文を紹介します。比較的高度な概念を持った言葉ですが、上手に使いこなせるようになりましょう。
「性悪説」の使い方
「性悪説」とは古代中国の思想であるため、人間の行動規範を記した言葉になります。そのため、自分の行動を省みるときにつかわれることがあります。ただ、この言葉は自分が使っていく言葉というよりは本などの文献で触れる機会が多い言葉でもあります。
「性悪説」の例文
「性悪説」の例文を2つ紹介します。
- 「性悪説」に基づいて、日々努力を惜しまないように生活をしていきたい。
- 「性悪説」に基づけば、学問をここで放り出すようなことはしないだろう。
まとめ
「性悪説」という言葉には、「努力をすることで善は獲得できる」という意味があります。また、荀子が説いた「性悪説」と孟子が解いた「性善説」は共に「努力をすることの大切さ」 をうたっています。この2つの言葉を理解することで、古代中国の思想に触れられるでしょう。これらの考えを、日々の生活の中にも取り入れていきたいですね。