「不可知論者」の意味は、「経験の背後にある超経験的なものや、本質は、認識不可能であるとする説を主張する人」です。「不可知論者」は哲学用語であり、難解な言葉です。よく似た言葉には「無宗教」や「無神論者」があります。「不可知論者」の意味、読み方、由来、「無宗教」「無神論者」「懐疑論者」との違い、英語表現についても解説します。
「不可知論者」の読み方・意味とは?
「不可知論者」の読み方・意味について説明します。
「不可知論者」の読み方
「不可知論者」は、「ふかちろんしゃ」と読みます。「不可知論者」は、「不可知論」を主張する人のことです。
「不可知論者」の意味
「不可知」の意味は、「人知では知れないこと」です。「不可知論」は哲学用語です。意味は、「経験の背後にある超経験的なものや、本質は、認識不可能であるとする説」です。「不可知論者」の意味は、「経験の背後にある超経験的なものや、本質は、認識不可能であるとする説を主張する人」です。
「不可知論者」の由来
「不可知論者」の起源、哲学用語における位置づけ、宗教との関係について説明します。
「不可知論者」の起源
「不可知論」は、イギリスのトマス・ヘンリー・ハクスリーの造語です。ハクスリーは19世紀のイギリスの動物学者であり、ダーウィンの進化論を支持し普及に努めた人物です。1869年に行った講演での話が、「不可知論」の起源であると言われています。ハクスリーは不可知論者ですし、そのほかの不可知論者としては、同時代のイギリスの哲学者ハーバート・スペンサーが有名です。
哲学用語としての「不可知論者」
「不可知論」は「agnosticism」です。これは「gnosticism」(グノーシス主義)に対する言葉です。グノーシスはもともとギリシア語で知識の意味です。神秘的、直観的にとらえられた神の啓示の体験における英知 のことを指しています。「不可知論」は、このグノーシスを認識することは不可能であるとする立場です。だから、「不可知論者」は、「経験の背後にある超経験的なものや、本質は、認識不可能であるとする説を主張する人」です。
「不可知論者」と宗教の関係
神は超自然的な存在です。神が存在するのかしないのかという命題を前にした時に、「不可知論者」は存在するとも存在しないとも主張しません。神の存在も非存在も、認識することは不可能であるという立場に立ちます。また、インドの神秘主義者は、神や絶対的なものとの神秘的体験を目指しています。その神秘的体験は言語では表現できないと主張していますから、神秘主義者は「不可知論者」です。
「不可知論者」と「無宗教」の違い
「不可知論者」は宗教についての態度を表明するときに、使われることが多い言葉です。「不可知論者」と「無宗教」の違いについて説明します。
「無宗教」の意味
「無宗教」とは、特定の宗教を信仰していない状態、信仰そのものを持たない状態、宗教に関心のない状態のことです。日本人は、信仰する宗教を問われた時に無宗教ですと答える人も多いですが、必ずしも宗教に関心がないとは言えません。仏教式の葬儀を行い、初詣は神社にお参りに行くというのはごく普通のことです。それでも、特定の宗教を信仰していない状態とは言えます。
「不可知論者」と「無宗教」の使い分け
「不可知論者」と「無宗教」の使い分けはどのようにしたらよいのでしょうか。「不可知論者」は、神の存在も非存在も、認識することは不可能であるという立場の人です。一方で、「無宗教」の人は、神の認識について明確な立場を持ってはいません。宗教に関心のない状態ですから、神の認識について考えるようなことはしないのです。双方とも、神の存在を肯定も否定もしないという点では共通している立場です。「無宗教」の人は、神に関心がない人であると認識しておけば間違いありません。
「不可知論者」と「無神論者」の違い
「不可知論者」と「無神論者」は、しばしば混同されることが多いです。「不可知論者」と「無神論者」の違いについて説明します。
「無神論者」の意味
「無神論者」の意味は、「神が存在しないと主張する人」です。つまり、積極的に神の存在を否定している人です。
「不可知論者」と「無神論者」の使い分け
「不可知論者」は、神の存在も非存在も、認識することは不可能であるという立場の人です。つまり、神が存在するとも、存在しないとも言っていないのです。神の存在を否定する人は「無神論者」なので、「不可知論者」と「無神論者」は全く違う立場です。混同しないように注意しましょう。
「不可知論者」と「懐疑論者」の違い
「懐疑論者」という、日常ではあまり使わない難しい言葉があります。「不可知論者」と「懐疑論者」の違いについて説明します。
「懐疑論者」の意味
「懐疑論」も「不可知論」と同じく哲学用語です。意味は、「人間の認識力は不確実なものであり、普遍的な真理を認識することはできないとする立場」です。人間が、客観的、普遍的な真理を認識する可能性を疑っているので「懐疑論」です。「懐疑論者」の意味は、「人間の認識力は不確実なものであり、普遍的な真理を認識することはできないとする立場の人」です。
「不可知論者」と「懐疑論者」の使い分け
「不可知論者」と「懐疑論者」の使い分けは難しいです。「不可知論者」は、「神の存在も非存在も、認識することは不可能であるという立場の人」です。一方、「懐疑論者」は、「人間の認識力は不確実なものであり、神の存在を認識することはできないとする立場の人」です。どちらも、「神の存在を認識することはできない」と主張しています。では、違いはどこにあるのでしょうか。「懐疑論者」には、「人間の認識力は不確実なものである」という前提があります。つまり、神の存在についてあきらめずに証明しようとするが、認識力が不確実なのでできないという態度を取っています。「不可知論者」には「懐疑論者」のような前提はなく、ただ、神がいるかいないかは認識できないという態度を取ります。「不可知論者」と「懐疑論者」の使い分けは、神の存在に迫ろうとする態度の違いです。
「不可知論者」を英語でいうと?
「不可知論者」を英語でいうと「agnostic」です。「I am agnostic.」で「私は不可知論者です」という意味です。「不可知論」は「agnosticism」です。「be agnostic on〜」となると、意味は「〜についてはわかりかねる」です。この場合は、「不可知論者」の意味ではないので注意してください。また、「〜agnostic」と使うと、意味は「〜に依存しない」です。例えば、「hardware agnostic」の意味は、「ハードウェアに依存しない」です。
「不可知論者」の使い方
「不可知論者」の使い方・使用するときの注意点について説明します。
「不可知論者」の使い方
日常で「不可知論者」を使うとしたら、宗教に対する自分の立場を表明しようとするときでしょう。相手の国によっては外国人に対して「無宗教です」と言ったら、理解してもらえないこともあるかもしれません。そんなとき、「不可知論者です」と伝えたら、「神の存在も非存在も、認識することは不可能であるという立場」であるのだと理解してもらえるかもしれません。
「不可知論者」を使用するときの注意点
「不可知論者」を使用するときは、本来は哲学用語であることに注意しましょう。日常用語ではないので、意味が相手に伝わらないこともあります。むやみに使うと、混乱を招くかもしれません。相手が「不可知論者」の意味を理解している場合にだけ使うようにしましょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか?今回は「不可知論者」の意味、読み方、由来、「無宗教」「無神論者」「懐疑論者」との違い、英語表現についても解説しました。
最後に「不可知論者」のまとめです。
- 「不可知論者」の意味は、「経験の背後にある超経験的なものや、本質は、認識不可能であるとする説を主張する人」です。
- 「不可知論者」は、「ふかちろんしゃ」と読みます。
- 「不可知論」の由来は、イギリスのトマス・ヘンリー・ハクスリーの造語です。ハクスリーは19世紀のイギリスの動物学者であり、ダーウィンの進化論を支持し普及に努めた人物です。1869年に行った講演での話が、「不可知論」の起源であると言われています。
- 「不可知論者」と「無宗教」の違いは、「不可知論者」は、神の存在も非存在も、認識することは不可能であるという立場の人です。一方で、「無宗教」の人は、神の認識について明確な立場を持ってはいません。双方とも、神の存在を肯定も否定もしないという点では共通している立場です。「無宗教」の人は、神に関心がない人であると認識しておけば間違いありません。
- 「不可知論者」と「無神論者」の違いは、「無神論者」は神の存在を否定する人であり、神の存在も非存在も、認識することは不可能であるという立場の「不可知論者」です。「無神論者」は全く違う立場です。
- 「不可知論者」と「懐疑論」の違いは、「懐疑論者」は、「人間の認識力は不確実なものであり、神の存在を認識することはできないとする立場の人」です。どちらも、「神の存在を認識することはできない」と主張しています。なので大きな違いはないのですが、あげるとすれば神の存在に迫ろうとする態度の違いです。
- 「不可知論者」の英語表記は、「agnostic」です。