「丙午(ひのえうま)」の意味と迷信を知っていますか?丙午年生まれの女性は気性が激しいといわれ、出生率が低い傾向にあります。今回は意味と迷信、出生率に与えた影響など丙午にまつわる素朴な疑問について解説します。
「丙午(ひのえうま)」の意味とは?
「丙午(ひのえうま)」は、干支(えと)の一つです。干支は十二支(じゅうにし)と十干(じっかん)の組み合わせで表され、「丙午」は「十干の丙」と「十二支の午」が重なる年のことです。組み合わせの中で43番目に当たり、60年に1回訪れます。
「丙午」の読みは「ひのえうま」が一般的ですが、「へいご」とも読みます。
「丙午(ひのえうま)」は干支のひとつ
干支は、十二支と十干の組み合わせで、全部で60種類あります。
十二支とは年賀状などで知られている「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥(ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い)」の12種類です。十干は「甲・乙・丙・丁・戌・己・庚・辛・壬・癸(きのえ・きのと・ひのえ・ひのと・つちのえ・つちのと・かのえ・かのと・みずのえ・みずのと)の10種類があります。
干支は1年ごとに変わり、60年で一巡します。60歳になると真っ赤なちゃんちゃんこを着て祝う還暦(かんれき)を迎えますが、それは干支が一巡することを祝う風習です。
参照:Weblio辞書「丙午」
「丙」「午」とも陽の火の運気
十二支は別名「地支(ちし)」といい、地上での方位や時の流れを意味します。そして、十干は干支を書くときは干を支の前に書くことから天干(てんかん)といい、天の流れを意味します。
十二支と十干は、それぞれ「火・水・金・土・木」と「兄(陽)・弟(陰)」の運気を持っています。「十干の丙」「十二支の午」はどちらも火や炎のような灼熱の性質を持つとされています。 火の性質を二重に持つことから、古くから「丙午(ひのえうま)」の年は火災に気をつけるようにといわれてきました。
「丙午(ひのえうま)」女性の性格に関する迷信
「丙午(ひのえうま)」には女性の性格に関する迷信があります。それは、「丙午」が火や炎など灼熱の性質を持つことに由来しています。この年に生まれた男女は強い性格を持っているとされ、特に女性はこの性格が災いして結婚相手との間に支障をきたしやすいという言い伝えがあります。
「丙午」生まれの情勢は気性が激しく、夫を食い殺すという迷信
「丙午(ひのえうま)」に生まれた女性は、「気性が激しく、夫の命を縮める」という迷信があります。これは、江戸時代の初期に起こった「八百屋お七の火付け事件」の八百屋お七が「丙午」の生まれであることに起因しています。
「丙午の年には火災が多い」という伝承が、のちに「気が強いかかあ天下」など、女性の性格や結婚に関する迷信に変化して広まったと考えられています。
丙午(ひのえうま)の迷信に科学的根拠はない
「丙午(ひのえうま)」の迷信について、科学的な根拠はありません。血液型や星座占いと同じく、同じ年に生まれた人が全員同じ性質や傾向を持つはずがないからです。また、海外では「丙午」生まれの女性が特別に気が強いといわれることはなく、当然この年だけ出生率が下がることもありません。
丙午(ひのえうま)は出生率が下がる
日本では「丙午(ひのえうま)」は出生率が下がる傾向にあります。「八百屋お七の火付け事件」以降、「丙午」の年は世間からあまり歓迎されない年となっているからです。近年まで根強く残っていた言い伝えだけに、今でもなお「丙午」の年には婚姻を避けたり,「丙午」年生まれの女性の縁談を気にしたりする風潮が残っています。
時代も変わり、今は科学的根拠のない迷信や古い慣習を気にしない人も増えています。しかしながら、頭では迷信だと分かっていても「念のため」「どうせなら避けよう」という心理も働くものです。そのため、現代では「丙午」の迷信を重視しない人が多いとはいえ、いまだに偏見をもっている人がいることも事実です。
「丙午(ひのえうま)」の関連語
「丙午(ひのえうま)」の関連語をみていきましょう。
「五黄の寅(ごおうのとら)」
「五黄の寅」は、干支の寅年と、九星気学の五黄土星が重なった年のことを言います。「五黄の寅」は、「ごうのとら」とも呼ぶ人もいますが、正しくは「ごおうのとら」と読みます。
九星気学において五黄土星は最強の運勢、そして十二支の中で最も運勢が強いとされるのが寅年です。その2つが重なった「五黄の寅」は、非常に強い運勢を持つ年で知られています。寅年の性格の特徴は、正義感・信念を強く持ち、これと決めたら一途に突き進みます。また、五黄土星の特徴は圧倒的なパワーの持ち主といわれ、困難を克服する強い意志と行動力を持つことからリーダーの素質を備えているといわれます。
「五黄の寅」年生まれは正義感にあふれるものの気が強く人を支配するといわれ、「丙午」と同様に、この年に女子が産まれることを忌む俗習があります。「五黄の寅」は36年に1回訪れ、前回は1986年(昭和61年)、次は2022年です。
「庚午(かのえうま)」
「庚午」 は干支の組み合わせの7番目にあたり、西暦年を60で割って10が余る年が該当します。前回は1990年(平成2年)、次回は2050年です。読みは「かのえうま」のほか、「こうきんのうま」「こうご」です。
十干の庚は陽の金、十二支の午は陽の火の性質を持っています。そのため旺盛な好奇心を備え行動力があるとされています。一方で、他人に邪魔や詮索されることを嫌い、短気で強い攻撃性を持つともいわれています。
「丙午(ひのえうま)」はいつ?
西暦年を60で割って、46が余る年が「丙午(ひのえうま)」の年です。では具体的な「丙午」は何年であるかをみていきましょう。
1666年(寛文6)
西暦1666年が「丙午(ひのえうま)」年に当たりますが、生年・命日に関して諸説あるものの、「八百屋お七」の生まれ年とされています。
「八百屋お七」は「丙午」に関する迷信のきっかけになった少女で、恋人に会いたい気持ちから放火事件を起こしたと伝えられています。1666年生まれから計算すると、放火の罪で捕縛されて鈴ヶ森刑場で火あぶりにされたのは1683年(天和3年)18歳のときのことです。
1906年(明治39年)
1906年(明治39年)の「丙午(ひのえうま)」年では、迷信が影響して前年より出生数が4%ほど減ったそうです。さらに、女児が生まれると出生届を前後の年にずらして出したという記録も残っています。
「女児が生まれたら将来縁談がまとまらない」「育てるのに苦労しそう」という理由で、妊娠・出産そのものが避けられました。また、迷信は女性の結婚にも関わり、縁談が破談となったことで自殺を図った女性の報道も相次ぎました。
1966年(昭和41年)
「八百屋お七」に由来する「丙午(ひのえうま)」の迷信は、明治を経て昭和にも続きました。そのため「丙午」に当たる1966年の出生率は前年に比べて約25%減少したそうです。特に地方や農村部で妊娠を避けたり、中絶を行ったりした夫婦が増え、出生数は136万974人と他年に比べて極端に少なくなった年でした。
自治体が主体となって、「丙午」の迷信には根拠がないことを周知する取り組みを行いました。山形市では、法務省山形地方法務局が主催の「ひのえうま追放運動」が展開され、市内パレードで啓発を呼びかけました。また、群馬県粕川村(現・前橋市粕川町)でも、村長が中心となって「迷信追放の村」を宣言するなど、各地で同様の運動が行われました。
次の「丙午」は2026年(令和8年)
次の「丙午(ひのえうま)」年は2026年(令和8年)です。近年の出生数と出生率は、「丙午」の要因がなくても、出生率はどんどん下がっています。さらに、2020年のコロナ禍により出産にまつわる不安が増大しているのも事実です。
2026年の「丙午」は、出産数がどう変化するでしょうか?
「丙午(ひのえうま)」の女性芸能人・有名人
「気性が荒い」といわれる「丙午(ひのえうま)」ですが、実際にその迷信は当てはまるでしょうか?1966年(昭和41年)生まれの女性芸能人・有名人をピックアップしてみました。
1966年(昭和41年)生まれの女性芸能人(日本編)
1966年(昭和41年)生まれの芸能人・有名人(日本編)の一部を紹介します。
- 財前 直見(女優)
- 三田 寛子(女優)
- 小泉 今日子(歌手・女優)
- 江角 マキコ(女優)
- 冨永みーな(声優)
- 松本 明子(タレント)
- 広瀬 香美(歌手)
- 有森 裕子(マラソン選手)
- 小谷 実可子(シンクロ選手)
- 益子 直美(バレーボール選手)
1966年(昭和41年)生まれの女性芸能人(海外編)
1966年(昭和41年)生まれの芸能人・有名人(海外編)の一部を紹介します。
歌手で、マイケル・ジャクソンを兄に持つジャネット・ジャクソン、オペラ歌手のチェチーリア・バルトリ、女優のソフィー・マルソーらがいます。
まとめ
「丙午」の言い伝えは非科学的である上、「丙午」に限らず個性は一人一人違い、育った環境などによっても性格は変わります。もし身近な人が「丙午」の迷信を信じていたら、「あくまで迷信であり、まったく根拠がない」旨を説明して理解を促しましょう。