春になると気温が上がって過ごしやすくなるとともに、眠気を感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか。春と眠気を関連づけた慣用句に「春眠暁を覚えず」という言葉があるのはご存知ですか?ここではその言葉の意味や英語表現について紹介します。
「春眠暁を覚えず」の読み方と意味
「春眠暁を覚えず」の読み方と意味は正しく理解できているでしょうか?ここではその読み方と意味について紹介します。
「春眠暁を覚えず」の読み方
「春眠暁を覚えず」は「しゅんみんあかつきをおぼえず」と読みます。
いずれも音読みである「春眠(しゅんみん)」が一区切りの音節となり、その後に訓読みの「暁を覚えず(あかつきをおぼえず)」という文章が添えられている慣用句です。なお、「暁」は音読みで「ぎょう」とも読める漢字ですが、この慣用句の場合は訓読みで「あかつき」読むのが正しい読み方ですので、間違えないよう注意しましょう。
「春眠暁を覚えず」の意味
「春眠暁を覚えず」の意味は「春は夜明けに気づかず寝坊してしまう」という意味です。
「暁」とは「夜明け」のことを指し、「覚えず」は「気がつかない」や「知らず知らずのうちに」という意味で使われる言葉です。よって現代の言葉で「春眠暁を覚えず」を表現すると「春の眠りは夜明けに気がつかない」といった直訳になりますが、これに意訳が加わり「ついつい寝過ぎてしまう」や「寝坊してしまう」という結論をつけた意味で用いられます。
「春眠暁を覚えず」の由来・語源
「春眠暁を覚えず」は実は日本由来の言葉ではなく中国が由来の言葉です。どのような語源があるのか詳しくみていきましょう。
「春眠暁を覚えず」は中国の漢詩の一説
「春眠暁を覚えず」は中国の詩人孟浩然(もうこうねん)が書いた、「春暁(しゅんぎょう)」という漢詩の冒頭の一節です。
春暁は日本でも中学校の教科書に記載がある孟浩然の代表的な作品です。書かれたのは唐の時代の盛唐に分類される710年~765年頃とされています。
作者「孟浩然」とは
春暁の作者である孟浩然は盛唐時代の代表的な詩人の一人です。
同じ盛唐の有名な詩人たちが、それぞれ孟浩然を慕っていたことがわかる詩を残していることから、もは大らかで魅力的な人物だったことがうかがえます。また、孟浩然は官職に就くための試験(科挙)に受からず生涯に渡り各地を放浪しながら詩を書く生活をしており、時世の事柄にはあまりとらわれない性格だったといわれています。
由来となった漢詩「春暁」の全文
「春眠暁を覚えず」の由来となった「春暁」とはどのような内容の詩なのでしょうか。ここでは漢詩の全文と現代語訳を紹介します。
・原文
春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少
・現代語訳
春の眠りは心地がよく、夜が明けるのも気づかないほどだ。
あちらこちらから鳥のさえずりが聞こえてくる。
そういえば夕べは風雨の音がひどかった。
花はどれほど散ってしまっただろう。
「春眠暁を覚えず」を感じる時期は?
「春眠暁を覚えず」は春の陽気が心地よく寝過ごしてしまう、という意味で現代では用いられる慣用句です。では、この心地よい陽気を感じる時期はどのような時期が当てはまるのでしょうか。
適度な日差しと冬の寒さから解放される気温
「春眠暁を覚えず」で表現されている時期は、「春眠」と記載があることからも基本的な時期は「春」です。
春は気温が徐々に上昇し、寒さから解放され体の緊張が緩むことから心地よい眠りに誘われやすい季節とされており、具体的には最低気温が6℃以上、最高気温が15℃程であるといわれています。
日本では3月〜4月頃の時期
最低気温が6℃以上、最高気温が15℃ 程度の気温は人間が布団の中で最も心地よく感じる温度とされており、関西や関東地方では4〜5月頃がその時期にあたります。また、北海道や東北地方では5月中旬頃に該当する時期です。
この時期にはついつい寝過ごしてしまうという経験がある方も多いのではないでしょうか。
「春はあけぼの」との比較
「春眠暁を覚えず」と同様に春を題材にした文学として有名なものが「春はあけぼの」です。「春眠暁を覚えず」と「春はあけぼの」いずれも日本では義務教育の教材に掲載されている代表的な古典文学であり、どちらも春を題材としています。では、同じ春を題材としている文学の違いはどこにあるかをみていきましょう。
「春はあけぼの」は枕草子の一文
「春眠暁を覚えず」が中国の詩であるのに対し、「春はあけぼの」は日本の文学作家である清少納言の「枕草子」という作品の一節です。
枕草子は平安時代の1001年頃に執筆された世界初の随筆文学とされており、日本三大随筆のひとつです。枕草子は清少納言が宮仕えをしていた7年間の様子を綴った随筆です。その分量は約300章段と非常に長いものですが、その中でも「春はあけぼの」から始まる冒頭文は有名で、学校で暗記した方もいるのではないでしょうか。
「春はあけぼの」の意味
枕草子の冒頭文は、清少納言が四季のなかで「風情がある(をかし)」と感じた事柄を表した歌です。「春はあけぼの」の「あけぼの」は「明け方」という意味ですので、「春は明け方が風情がある」と表現している歌となります。
なお、「春はあけぼの」から始まり、その後は四季それぞれで夏は「夜」、秋は「夕暮れ」、冬は「つとめて」と各季節の時間帯に注目して良さを表現していることも、枕草子の特徴のひとつとされています。
「春はあけぼの」は以下のように続きます。
・原文
春はあけぼの。
やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
・現代語訳
春はほのぼのと明ようとする頃。(がよい)
だんだんと白んでくる山際の辺りがほんのりと明るくなり、淡い紫に染まった雲が細くたなびいている様子。(がよい)
「春眠暁を覚えず」と「春はあけぼの」の共通点
「春眠暁を覚えず」も「春はあけぼの」も共通して春の朝に焦点を当てた古典文学です。
「春眠暁を覚えず」は春の陽気の心地よさを歌っており、「春はあけぼの」は朝の様子の美しさを歌ったものです。注目する点うや作者は異なりますが、それぞれの表現で春の季節を愛でる感性を盛り込んでいることも似通った点といえるでしょう。
「春眠暁を覚えず」を英語で表すと?
「春眠暁を覚えず」は英語で表現することはできるのでしょうか。実は英語では、同様の意味を持つ独自の表現や慣用句は存在しません。よって英語表現の場合は、「春眠暁を覚えず」を翻訳した形で使われます。
では、「春眠暁を覚えず」を英語で表現した場合の文章を2つ紹介します。
英語表現1
ひとつめの表現は、「In spring one sleeps a sleep that knows no dawn.」です。これは日本語に訳すと、「春に眠りに落ちる人は夜明けを知らない。」という意味の英語表現になり、「春眠暁を覚えず」と同じニュアンスの表現として用いられています。
「sleeps a sleep」は「眠りに落ちる」という意味です。「夜明け」や「明け方」という意味の英語は「down」を用いますので覚えておきましょう。
英語表現2
ふたつめの表現は「In spring we are liable to oversleep without noticing dawn breaking.」です。日本語に直訳すると、「春に我々は夜明けがきていることに気がつかずに寝坊しがちである。」という意味の英語表現になります。
この表現は「春眠暁を覚えず」の意訳である「寝坊してしまう」という部分も含めたニュアンスを取り入れている点が特徴的です。
「be liable to ~」は「~しがち」という意味です。その後に続く「oversleep」が「寝坊する」という意味の単語ですので、「be liable to oversleep」で「寝坊しがち」という意味になります。また、「break of dawn」は「夜が白む=夜明け」という意味ですので覚えておくとよいでしょう。
まとめ
日常会話などでもふとした際に耳にする「春眠暁を覚えず」は、春の陽気のせいにして寝坊をしてしまう様子を情緒的に表現した慣用句です。耳にした際に会話についていけるようその意味を覚えておくとよいでしょう。また、「春眠暁を覚えず」と言いたいところで「春はあけぼの」を用いてしまわないよう意味の違いをきちんと把握しておくことも大切です。