よく使われることわざ「馬の耳に念仏」について解説します。「馬の耳に念仏」の由来や「馬耳東風」との関連、似たことわざも紹介。英語で「馬の耳に念仏」を何というかもわかります。例文で正しい使い方を確認して、表現の幅を広げてくださいね。
「馬の耳に念仏」の読み方と意味
「馬の耳に念仏」の読み方と意味を説明します。
「馬の耳に念仏」の読み方
ことわざ「馬の耳に念仏」は「うまのみみにねんぶつ」と読みます。
「馬の耳に念仏」の意味は?
「馬の耳に念仏」の意味は、「どんなに言い聞かせてもまったく効果がない」または「ありがたみや価値がわからない」です。「念仏」は仏教の行(ぎょう)の1つで、仏の姿や徳を思い浮かべたり、仏の名を唱えたりします。たとえば浄土宗では「阿弥陀仏」を思い浮かべ、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を唱えるのが念仏です。
ことわざ「馬の耳に念仏」の由来・語源
もともと「馬の耳に念仏」はどこの国の言葉なのか、出典や由来を紹介します。
由来は李白の詩
「馬の耳に念仏」の出典は、8世紀の中国で活躍した詩人・李白の詩です。『王十二の寒夜に独酌して懐(おもう)有るに答う』という詩の中に「馬の耳に念仏」のもとになる一文があります。詩の中で李白は「よい詩を作っても、馬の耳に風という塩梅で聞き流されてしまう」と詠んでいます。
もともとは「馬耳東風」
李白の詩には「世人之を聞けば皆頭を掉り、東風の馬耳を射るが如き有り」とあり、「東風」は「東から吹く春の風」を指します。つまり「よい詩を詠んでも世間の人は頭を振って聞き入れない。馬の耳に春風が吹くようなものだ」と嘆く詩です。この一文から、まずは「馬の耳に念仏」ではなく「馬耳東風(ばじとうふう)」というようになりました。
「馬耳東風」から「馬の耳に念仏」へ変化
「馬耳東風」という表現が日本に伝わると、歌舞伎などで「何を言っても『馬の耳に風』だ」などと使われるようになりました。はじめは「馬の耳に風」として広まり、その後「風」が「念仏」に変化。「馬の耳に念仏」が定着しました。「馬耳東風」は、現在も四字熟語として使われています。
「馬の耳に念仏」と「馬耳東風」の違い
「馬耳東風」がもとになり、ことわざ「馬の耳に念仏」ができました。しかし、「馬耳東風」と「馬の耳に念仏」は違うニュアンスで使われます。「馬耳東風」は「人の話を聞き入れない、かたくなな態度」のニュアンスが強く、「馬の耳に念仏」は「話やものの価値がわからない人」のニュアンスが強めです。「馬の耳に念仏」だと相手を「愚かな人」とみなしているので、失礼にならないよう気を付けたいですね。
「馬の耳に念仏」と「馬耳東風」の使い方・例文
ことわざ「馬の耳に念仏」と四字熟語「馬耳東風」の使い方を例文で解説します。ニュアンスの違いに着目すると、適切な使い方がわかります。
ことわざ「馬の耳に念仏」を使った例文
- 勉強の大切さを諭しても、うちの子どもには馬の耳に念仏のようだ。テスト前なのにゲームばかりしている。
- 彼に何を言っても馬の耳に念仏だよ。君の忠告のありがたみがわかるころには手遅れだろうね。
- 高額な料金を払ってセミナーに参加したが、内容の半分も理解できなかった。私には馬の耳に念仏だった。
どの例文も「ありがたみがわからない」や「愚か」のニュアンスで「馬の耳に念仏」を使っています。
四文字熟語「馬耳東風」を使った例文
- 部内の皆で上司に勤務体制の改善を訴えたが、何を言っても馬耳東風という反応だった。
- やっかみや悪いうわさも馬耳東風とばかりに、彼女は淡々と成果を上げ続けている。
- 真面目に話し合いたいのに、彼の馬耳東風といった態度は本当に腹立たしい。
いずれも「聞き流す」や「まともに取り合わない」のニュアンスで「馬耳東風」を使った例文です。
「馬の耳に念仏」と似た意味のことわざ・類義語
「馬の耳に念仏」の似た意味のことわざを紹介します。どれも「価値がわからず、無駄」の意味で使うことわざです。
「犬に論語」
「犬に論語」は「いぬにろんご」と読み、「いくら道理を説いても無駄なこと」の意味です。『論語』は、中国の儒学者・孔子の話を弟子たちがまとめた書物。『論語』のありがたい話を犬に聞かせたところで何の益もないことから、「無駄である」たとえに使われています。
「猫に小判」
「猫に小判」は「ねこにこばん」と読み、「貴重なものを与えても、本人にはその価値がわからない様子」を表すことわざです。人間にとっては貴重な小判も、猫からすればありがたみがないことから、「価値がわからない」たとえに使われます。
「豚に真珠」
「豚に真珠」は「ぶたにしんじゅ」と読み、「価値のわからないものに貴重なものを与えても無駄」という意味のことわざです。新約聖書「マタイ伝第7章」に由来したことわざで、新約聖書には「Don’t cast pearls before swine.(豚に真珠を投げ与えてはいけない。)」と書かれています。イエス・キリストの時代、豚は「不浄な動物」でした。そのような動物に価値のある真珠をあげても無駄であることから、「豚に真珠」は「価値がわからず、無駄」のたとえに使われます。
「対牛弾琴」
「対牛弾琴」は「たいぎゅうだんきん」と読み、「愚かなものに道理や難しい話を聞かせる」や「せっかくの好意や働きかけが無駄に終わる」などの意味があります。音楽のよさがわからない牛に琴を弾いてきかせても無意味であるため、「無駄に終わる」のたとえで使われます。「対牛弾琴」は「話して聞かせても無駄だった」と結果だけでなく、「愚かなものに道理を話して聞かせる」の行為そのものも指すことわざです。「対驢撫琴(たいろぶきん)」は「対牛弾琴」と同じ意味の四字熟語です。琴を弾いて聞かせるのが牛ではなく「驢(ロバ)」という点だけ異なります。どちらにしろ、「愚かなものに道理を説いても無駄」の意味で使う四字熟語です。
「馬耳東風」と似た意味のことわざ・類義語
四字熟語「馬耳東風」と似た意味のことわざを挙げます。「聞く耳を持たない」や「受け流す」などのニュアンスが「馬耳東風」と共通しています。
「暖簾に腕押し」
「暖簾に腕押し」は「のれんにうでおし」と読み、「相手の反応や対応に手ごたえがまったくない様子」を表すことわざです。ペラペラの布である暖簾をいくら押しても手ごたえがないことから、「張り合いがない」または「意に介さない態度」などのたとえに使われます。
「糠に釘」
「糠に釘」は「ぬかにくぎ」と読み、「手ごたえも効き目もない」意味で使います。「ぬか(糠)」は玄米を精白するときに出る、皮や胚芽の部分です。「米ぬか」としてぬか漬けなどに利用します。木などではなく、糠に釘を一生懸命打ったところでどうにもならないことから、「糠に釘」は「何の効果も手ごたえもない」たとえです。
「豆腐にかすがい」
「豆腐に鎹」は「とうふにかすがい」と読み、「まったく効き目も手ごたえもない」の意味です。「鎹(かすがい)」は2つの木材を固定するために打ち込んで使う、コの字型の金具。やわらかい豆腐に鎹を打ち込んでも無意味なため、「効き目も手ごたえもない」のたとえで使います。
「柳に風」
「柳に風」は「やなぎにかぜ」と読み、「穏やかに受け流す」や「手ごたえがない」意味で使います。しなやかな枝の柳は強い風に吹かれても折れずにそよぐことから、「柳に風」を「意に介さない」様子のたとえに使います。
英語で「馬の耳に念仏」を何という?
直訳で「馬の耳に念仏」の英語表現はありません。「耳の聞こえない人に説教をする」意味の「turn a deaf ear」や「praying to deaf ears」が、「馬の耳に念仏」と近い表現です。また、「聞き流す」意味の英語表現に「in one ear and out the other」があります。
まとめ
「馬の耳に念仏」は「ありがたみや価値がわからない」や「効き目がなく無駄」などの意味で使うことわざです。単に聞き流す「馬耳東風」と違って「愚かな」のニュアンスがあるため、使うときは失礼に当たらないか気を付けてください。