「最後の晩餐」とは、個人や集団が死を目前に食する最後の食事のことを指します。よく耳にする、「最後の晩餐」は聖書の中に登場するシーンで、そこに登場する重要人物がキリストの弟子のひとり「イスカリオテのユダ」です。この記事では「最後の晩餐」のストーリーを解説し、ユダにもスポットを当てます。また最後の晩餐ゆかりの場所や、芸術作品を紹介します。
「最後の晩餐」の意味とは?
「最後の晩餐」とは、個人や集団が死を目前に食する最後の食事のことを指します。新約聖書に記されたイエス・キリストが捕らえられる直前に十二人の弟子たちと摂った食事での一節をもとにしており、現代でもさまざまな表現において「最後の晩餐」のフレーズが用いられています。
「最後の晩餐」の由来・語源
新約聖書「マルコによる福音書」の14章27節には、イエス・キリストと12人の弟子たちの夕食の風景が記されています。 キリストは自分の死が近いことを予見しており、それは弟子たちの中にいる裏切り者によって引き起こされると告げます。その後にキリストは捕らえられて処刑されることになるのですが、この一節が「最後の晩餐」とよばれ後世に伝わっています。
「最後の晩餐」を英語でいうと?
「最後の晩餐」を英語では「 last supper」あるいは「lord’s supper」といいます。詳しく英訳すれば「the traditional Passover supper of Jesus with his disciples on the eve of his crucifixion」となり、キリストが磔刑の前夜に弟子たちと過ごした、伝統的な過越祭祝いの夕食会を意味しています。
「最後の晩餐」のストーリー
聖書で語られる「最後の晩餐」とはどのようなお話なのでしょうか?イエス・キリストはなぜ捕らえられなければならなかったのか?ユダはどのようにキリストを裏切ったのか?「最後の晩餐」にまつわるストーリーを追いましょう。
キリストと12使徒
イエス・キリストには「十二使徒」と呼ばれる12人の弟子たちがおり、キリストは彼らと共に神の教えを伝える旅をしていました。キリストの弟子にはペテロやヤコブ、ヨハネ、マタイなどの名前が連なりますが、その中のひとりに「イスカリオテのユダ」がいました。キリストは当時の支配者であったローマ帝国からは、民衆を扇動する政治的指導者として危険視されており、ユダヤ教の司祭長たちからは異教を広める存在として疎まれていました。
ユダの裏切り
「イスカリオテのユダ」はキリストを敵視し亡き者にしてしまおうと企むユダヤ教の司祭長たちに、銀貨30枚でキリストを売り渡してしまいます。キリストが逮捕される前の晩餐の席で、キリストは自分を裏切った者の存在を言い当てます。この一節のシーンが「最後の晩餐」として、聖書やさまざまな作品を通して現代にまで伝わっているのです。
キリストの受難
最後の晩餐のあと、祈りを捧げていたイエス・キリストは踏み込んできたローマの兵士たちによって捕らえられます。このときにキリストを特定するための合図として、ユダがキリストに接吻をします。そのシーンは「死の接吻」としてさまざまな作品のモチーフにもなっています。ユダの裏切りにより囚われの身となったキリストは、その後十字架を用いた磔刑で命を落とすこととなります。
「最後の晩餐」の「ユダ」って何者?
イスカリオテのユダとはそもそも何者なのでしょうか? 彼らが生きた時代には、平民は苗字を持たないことが普通でした。「イスカリオテ」とはユダヤ地方の村の名前で、ここの出身であることからユダは「イスカリオテのユダ」と呼ばれています。
ユダとはどのような人物か
イスカリオテのユダの人物像を探るときに参考となるのがイエス・キリストとユダの距離感です。キリストの十二人の弟子たちは筆頭使徒とされる「ペトロ」から始まってほぼ同じ順番で語られますが、これはキリストとの関係性が近い順番であるとされています。そして、イスカリオテのユダの名前は大抵最後に挙がります。このことからキリストとユダの関係性はあまり深いものではなかったと考えられています。また、ユダは欲深い人物であったともいわれています。キリスト一行の会計係をユダが担当していましたが、彼は不正を働き金品を横領していたと伝えられているのです。
ユダはなぜ裏切ったのか?
イスカリオテのユダは、なぜイエス・キリストを裏切ったのでしょうか?そもそもユダはキリストが神だと信じていなかったと考えられています。ほかの弟子たちはキリストのことを「主」と呼んでいましたが、ユダだけは彼を「ラビ(先生)」と呼んでいます。ユダはキリストを神として奉ることはせず、新約聖書マタイの福音書には銀貨30枚でキリストを売り渡す約束をしてしまったと記されています。
ユダの最後
銀貨30枚でイエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダですが、キリストがローマの最高法院で有罪判決となったと知って、みずからの行いを強く後悔します。キリストを陥れたユダヤ教の司祭長たちに銀貨を返しにいきますが、相手にされず絶望したユダは首を吊って死んでしまいます。その後、「イスカリオテのユダ」の名は裏切り者の代名詞として後世に語り継がれていくこととなるのです。
「最後の晩餐」にゆかりのあるスポット
現在では世界中に最後の晩餐にまつわる場所や、最後の晩餐をモチーフとした作品を展示する施設があります。その中でも代表的なものを紹介します。
エルサレム Last Supper Room Coenaculum(最後の晩餐の部屋)
イスラエル東部・パレスチナ自治政府内の都市エルサレムには、イエス・キリストが弟子たちと最後の食事をしたとされる部屋「Last Supper Room Coenaculum」が保存されています。この場所は原始キリスト教の集会所だった教会施設で、最後の晩餐の部屋の下には伝説のダビデ王が葬られた墓もあり、イスラエルの観光名所となっています。
ミラノ Chiesa di Santa Maria delle Grazie(サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会)
イタリア・ミラノにある「サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会」には、かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチが制作した「最後の晩餐」が保存されています。ダ・ヴィンチの最後の晩餐は、遠近法や一点透視図法を駆使して描かれたキリスト教絵画の傑作として名高く、キャンバスに描かれたものではなく教会の壁に描かれた壁画です。壁画は美術館などに移動できないので、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐を見たければ、この場所を訪れるしかありません。最後の晩餐の見学は15分間の入れ替え制で、チケットの予約が必要となります。
そのほかの「最後の晩餐」スポット
イタリアのフィレンツェは、かつてルネッサンス文化の花咲いた都市で、現在でも数多くの名画や彫刻作品を見学できる場所です。そんなフィレンツェ市内にある「アンブロジアーナ絵画館」では、17世紀前半のイタリアで活躍した画家ヴェスピーノ作となる、ダ・ヴィンチ版「最後の晩餐」の模写が見学できます。この模写はテーブルより上の部分のみを描いたものですが、保存状態が非常に良く、人物の表情などを原版よりも鮮明に見てとれます。アンブロジアーナ絵画館は入場無料で予約もいらないので、フィレンツェを訪れた際にはぜひ立ち寄りたいスポットです。
「最後の晩餐」をテーマとした作品
聖書で語られる「最後の晩餐」のシーンは、絵画作品として多く残されていますが、そのほかの表現方法で再現された最後の晩餐も存在します。どのような最後の晩餐作品があるのか見てみましょう。
「最後の晩餐」の絵画
「最後の晩餐」を描いた絵画はレオナルド・ダ・ヴィンチの壁画が有名ですが、ダ・ヴィンチの作品以外にも、最後の晩餐をテーマに描かれた作品は数多くあります。イタリアルネッサンス期に活躍した画家、ルーベンスによって描かれた最後の晩餐は、ダ・ヴィンチのものとは構図が違い縦の画面に描かれ、イスカリオテのユダを手前に配しています。イタリア・フィレンツェの「ブレラ絵画館」ではこのルーベンスの「最後の晩餐」のほかにダニエーレ・クレスピやヴェロネーゼによって制作された最後の晩餐の絵画が展示されており、それぞれ作者による趣の違いが楽しめます。
彫刻作品の「最後の晩餐」
「最後の晩餐」は平面作品だけではなく、立体作品のテーマにもなっています。イタリア・ミラノにある「ミラノ記念墓地」には彫刻作品の最後の晩餐があります。この作品はリキュールで有名なカンパリ社の創業一族の墓所に展示されており、キリストと12人の弟子たちが彫像で再現されています。もちろんイスカリオテのユダもおり、テーブルの下で銀貨の入った袋を手にしています。
映像作品になった「最後の晩餐」
イエス・キリストをテーマに扱った映画の中では最後の晩餐のシーンが描かれたものもあります。2014年に制作されたクリストファースペンサー監督の「サン・オブ・ゴッド」では、ディオゴ・モルガドが演じるイケメンのイエス・キリストと最後の晩餐のシーンが見られます。また、少し古い映画ですが、1965年の映画で ジョージ・スティーブンス監督の「偉大な生涯の物語」では、イエス・キリストの生涯が語られており最後の晩餐のシーンも収録されています。キリストをテーマにした映画はいくつもあるので、イスカリオテのユダを演じる俳優を見比べても面白いでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか?今回は「最後の晩餐」のストーリー、ゆかりの場所や、芸術作品について解説しました。
最後に「最後の晩餐」のまとめです。
- 「最後の晩餐」とは、個人や集団が死を目前に食する最後の食事のことを指します。
- 「最後の晩餐」の由来・語源は、新約聖書「マルコによる福音書」の14章27節に、イエス・キリストと12人の弟子たちの夕食の風景が記されています。 キリストは自分の死が近いことを予見しており、それは弟子たちの中にいる裏切り者によって引き起こされると告げます。その後にキリストは捕らえられて処刑されることになるのですが、この一節が「最後の晩餐」とよばれ後世に伝わっています。
- 「最後の晩餐」を英語では「 last supper」あるいは「lord’s supper」といいます。
- 「最後の晩餐」のストーリーは、「イスカリオテのユダ」はキリストを敵視し亡き者にしてしまおうと企むユダヤ教の司祭長たちに、銀貨30枚でキリストを売り渡してしまいます。キリストが逮捕される前の晩餐の席で、キリストは自分を裏切った者の存在を言い当てます。この一節のシーンが「最後の晩餐」として、聖書やさまざまな作品を通して現代にまで伝わっているのです。
- 「イスカリオテ」とはユダヤ地方の村の名前で、ここの出身であることからユダは「イスカリオテのユダ」と呼ばれていました。キリストの弟子ではありましたが、キリストを神と信じておらず、キリストとは深い関係性では無かったと言われています。また、欲深い性格だったと言われており、会計係を担当していましたが、不正を働き金品を横領していたとも伝えられています。
- 「最後の晩餐」にゆかりのあるスポットは、「エルサレム Last Supper Room Coenaculum(最後の晩餐の部屋)」、「ミラノ Chiesa di Santa Maria delle Grazie(サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会)」です。
- 「最後の晩餐」をテーマにした作品は絵画以外にも、彫刻や映像作品など、さまざまなものがあります。