専門的な美術教育を受けていない人々によって作られる芸術「アールブリュット」について、起源や歴史、アールヌーボーやアールデコとの違いを解説し、アールブリュットの作家と作品、アールブリュットを収蔵・展示している美術館も紹介します。
「アールブリュット」の意味とは
アールブリュットはフランス語の「art brut」を元にする言葉です。「art」は芸術を、「brut」が自然のまま、生のままを意味しています。このことからアールブリュットとは、精神に障がいをもつ人や社会から隔絶された人々による芸術表現を指しています。
「アールブリュット」の類義語・言い換え
アールブリュットはフランス語がもとになった言葉ですが、アメリカなどの英語圏では「アウトサイダー・アート」と呼ばれています。そのほかにも、可能性のある芸術を意味する「エイブル・アート」や、枠組みを超えた「ボーダーレス・アート」などの呼び名もあります。
「アールブリュット」と「アールヌーボー」「アールデコ」の違い
「アールブリュット」と似た言葉に「アールヌーボー」や「アールデコ」があります。これらとアールブリュットにはどのような違いがあるのでしょうか?
アールヌーボーとは
「アールヌーボー」とは19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に興った新芸術運動です。曲線が多く装飾性が高いエレガントな建築や美術作品に、花や植物といった有機物が装飾モチーフとして取り入れられています。代表的なアール・ヌーボー様式には、パリ地下鉄のエントランスやアルフォンス・ミュシャのポスターなどがあります。「アールヌーボー」の語源は芸術を指す「Art」と新しさを表す「Nouveau」を合わせたもので「新しい芸術」の意味を持ちます。
アールデコとは
アールデコは第一次世界大戦から第二次世界大戦までのあいだにアメリカを中心に流行した芸術様式で、Art (芸術)とDéco(装飾)の掛け合わせが語源となっています。アールデコはシンプルで合理的なデザインや、直線的なフォルム、原色の対比による装飾が特徴となっています。アール・デコ様式の代表的なものにはニューヨークのクライスラービルや、ルネ・ラリックのガラス工芸などがあります。装飾性の高さから大量生産に向かないアールヌーボーに対して、アールデコの作品は高い生産性や機能性をもっています。
「アールブリュット」・「アールヌーボー」・「アールデコ」の違い
アールヌーボーとアールデコ、そしてアールブリュットは芸術様式を表す言葉ですが、内容はそれぞれ違い、どちらかといえば相反するものと受け止められます。それぞれの流行した年代を考察すると、どれも時代の流れとともに歩んでいるのが判ります。中でもアールブリュットはその起源から半世紀近く経っても廃れることなく、いよいよ勢いを増しています。
「アールブリュット」の起源と歴史
生の芸術ともいわれる「アールブリュット」はいつ、どこで生まれたのでしょうか?アールブリュットの起源と歴史的な歩みを検証します。
「アールブリュット」の起源
20世紀フランスの画家「ジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet )」は、以前より精神病患者や霊的幻視者などの芸術表現に強い関心をもっていました。デュビュッフェは1945年からスイスやフランスにある精神病院や監獄などを訪問し、彼らアウトサイダーによって作られたアート作品を収集し始めました。この活動が、のちの「アールブリュット」の起源となったと考えられています。
「アールブリュット」の歴史
1945年からアールブリュット作品の収集を続けていたデュビュッフェは、1948年に有志と共にアールブリュットを扱う会社を設立し、1967年にはパリの装飾美術館で大規模な展覧会を開催します。デュビュッフェらによって収集されたコレクションはスイスのローザンヌ市に寄贈され、1976年にはアールブリュット作品を展示する美術館が設立されました。その後、アールブリュットの概念は世界中に浸透し、現在では美術シーンにおけるひとつのジャンルを形成しています。
「アールブリュット」の作家と作品
「アールブリュット」の作家は世界中におり、これまで独自の魅力を持つアウトサイダー・アーティストたちが発掘されてきました。その中でも、アールブリュットを語るうえで欠くことのできないアーティストを紹介します。
ファンタジーあふれる宇宙を描いたアドルフ・ヴェルフリ
スイス出身のアドルフ・ヴェルフリは、世界的に有名なアールブリュットのアーティストです。社会にうまく馴染めずに、刑務所や精神病院で人生の大半を送った人物ですが、独居房内で新聞紙に絵を描いて束ねた冊子を45冊、全2万5,000ページにわたって作り続けました。細かい線描のドローイングを主体にカリグラフィーやコラージュ技法まで用いられた作品は、まさに生の芸術と呼ぶに相応しい魅力に満ち溢れ、その迫力は見る人を引き付けて止みません。
知られざる孤高の巨匠ヘンリー・ダーガー
ヘンリー・ダーガーは20世紀のアメリカで清掃夫や皿洗いの仕事をしていた人物です。天涯孤独な生涯を送りましたが死後、彼に部屋を貸していたアパートの大家によって、1万5145ページにも及ぶオリジナルファンタジー小説の原稿と、水彩絵の具で描かれた大量の挿絵が発見されて有名になりました。この小説は未出版なのでギネスブックに記録されませんでしたが、世界一の長編といわれています。
精神病院でも制作を続けたアロイーズ・コルバス
アロイーズ・コルバスは40年以上の歳月を精神病院で過ごした女性です。1900年代初頭にドイツ皇帝の宮廷で働いており、当時の皇帝だったカイザー・ヴィルヘルム2世に激しい恋をしたといわれています。その後、第一次世界大戦の勃発でスイスに帰国した彼女は、統合失調症を患い精神病院で暮らすようになりますが、カイザーへの恋心は消えることなく、その想いを絵画制作に注ぎ生涯を捧げました。赤やピンクを多用した鮮やかな色彩で描かれた作品は、彼女の心を満たしていたであろう恋心に満ち溢れています。アロイーズは、アールブリュットを代表する作家のひとりとして現代でも評価され続けています。
放浪の天才画家 山下清
1922年に東京の浅草で生まれた山下清は、軽度の知的障がいがあったとされ養護施設で絵画を制作していました。切張り絵の風景画や自然物のペン画などで、その才能を見いだされ「日本のゴッホ」と称されるようになります。終戦後に日本中を放浪しながら作品を制作し続け、その様子はテレビドラマ「裸の大将」シリーズのモデルとなりました。山下清の作品は長野県茅野市の「放浪美術館」や岐阜県高山市の「古い町並み美術館」など全国の美術館に展示されています。
海外の「アールブリュット」美術館
世界各地でアールブリュットの作品を展示する美術館は増え続け、新しいジャンルとして定着しつつあります。世界の代表的なアールブリュットミュージアムを紹介します。
アール・ブリュット・コレクション
スイス・ローザンヌ市内にある「アール・ブリュット・コレクション(Collection de l’Art Brut)」は、アールブリュットの提唱者であるジャン・デビュッフェの働きかけで1976年に誕生した美術館です。デビュッフェによってコレクションされた4000点にのぼるアールブリュット作品をはじめ1000人以上の作家による63000点もの作品を収蔵。アールブリュット美術の総本山的な存在として、広く世界に知られています。
リール・メトロポール現代美術館
「リール・メトロポール現代美術館(略称LaM)」は、フランス北部の都市リールにある美術館です。広大な庭園の敷地内にあり、近代美術、現代美術、アールブリュットの3ジャンルの作品を収蔵・展示しています。アールブリュットの作品には専用の展示棟が設けられ、アドルフ・ヴェルフリやヘンリー・ダーガーら歴史的な作家の作品や、電気製品などのパーツを集めて作られた「ミニチュアの神殿都市」のような大規模作品も見学できます。近・現代美術のコレクションも名品が多く、庭園内にはピカソの彫刻作品なども設置されています。
アメリカン・ヴィジョナリー・アート・ミュージアム
「アメリカン・ヴィジョナリー・アート・ミュージアム(American Visionary Art Museum)」はアメリカを代表するアウトサイダーアートを扱った美術館のひとつです。メリーランド州ボルティモアの港湾地域に1995年に開館した美術館で、光を反射してきらめくモザイク外壁が特徴的なたたずまいを持っています。館内にはアメリカ国内を中心に、世界中の優れたアールブリュット作品が収蔵・展示されています。中にはつらい過去のトラウマをもつ作者の作品もあり、アールブリュットのさまざまな側面を垣間見える美術館です。
国内の「アールブリュット」美術館
日本国内でもアールブリュットの認知度は上がっており、各地でアールブリュットの展示施設が誕生しています。その中でも、日本を代表するアールブリュット美術館をピックアップしました。
ボーダレス・アートミュージアムNO-MA
「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」は、2004年6月に滋賀県近江八幡市に開館したアールブリュット専門の美術館です。昭和初期の町屋建築をリノベーションた館内には、国内外のさまざまなアールブリュット作品が収蔵、展示されています。ボーダレス・アートミュージアムNO-MAは日本におけるアールブリュット美術館の先駆けとなり、現在でもシーンの中心であり続けています。
鞆の津ミュージアム
広島県福山市の歴史ある港町鞆の浦に、2012年に開館した美術館が「鞆の津ミュージアム」です。古い町並みに残された、築150年の蔵を改修して作られた美術館で、アールブリュット作品を数多く収蔵・展示しています。鞆の津ミュージアムは、中国地方におけるアールブリュットの発信拠点を担っています。
みずのき美術館
みずのき美術館は京都府亀岡市に2012年に開館した、アールブリュット作品の紹介を目的とした美術館です。みずのき美術館を運営している障がい者支援施設「みずのき」は、1960年代から障がい者のアート活動を支援し続けており、日本のアールブリュット活動の草分け的存在です。美術館には1万点以上のアールブリュット作品を収蔵しており、「みずのき」に所属する作家とさまざまなクリエイターとのコラボ企画も催されています。
「アールブリュット」の展覧会など
アールブリュットは今や世界中に広まり、アールブリュットの展覧会が世界各地で開催されるようになりました。国内外におけるアールブリュットの展覧会イベントを紹介します。
海外の「アールブリュット」の展覧会
アールブリュットの概念はジャン・デビュッフェによって提唱されてから、年月を重ねるごとに世界中に広まっていきました。アールブリュットの誕生したスイスをはじめ、フランス、アメリカなどを中心にアールブリュットをテーマにした展覧会やイベントは世界各地で催され、多くの人々に支持されています。2010年にはフランスのパリで、日本のアールブリュット作品を紹介する「アール・ブリュット・ジャポネ展」が開催され12万人以上の観客を動員しました。この展覧会以来、日本のアールブリュットは世界中から注目されるようになり、現在でも高く評価され続けています。
国内の「アールブリュット」の展覧会
近年、日本国内のアールブリュットシーンは活発な盛り上がりをみせています。毎年ごとに、国内各都市でアールブリュットをテーマとした大規模な展覧会が企画・開催されています。また、各自治体や財団によるアールブリュットの支援事業も盛んに行われ、公立美術館での巡回展やアールブリュット作品を展示する美術館の新設なども進んでいます。
まとめ
最近では日本のアールブリュットが世界的に高く評価され、KABUKI(歌舞伎)やMANGA(漫画)に次ぐジャパニーズ・アートとして注目されています。また、ビジネスパーソンの美意識向上が世界的な流れとなる昨今、アールブリュットを知り楽しむことには大きな意義があるといえます。