ことわざ「桃栗三年柿八年」をご存知ですか?何かを成し遂げるには相応の年月がかかることを意味することわざです。桃や栗は3年、柿は8年も待つのかと疑問に思う方もいるでしょう。この記事では、「桃栗三年柿八年」のことわざの意味や使い方を解説します。
「桃栗三年柿八年」の意味とは
ことわざ「桃栗三年柿八年」は、果物が実をつけるまでに年月がかかることから物事を成し遂げるために継続して努力することの重要性を説いています。では、具体的にはどのような意味があるのでしょうか。
物事を成就するには年月がかかる
果物の樹木を植えてもすぐには実が収穫できません。このことから、物事が成就するまでにはそれ相応の年月がかかることを表しています。勉強や運動、仕事など幅広い物事に対していえるのですが、最初から完璧にできる人はおらず、努力し続けることで徐々に結果がついてくるようになるのです。
努力することの大切さを説く
果物が美味しい実をつけるには、長い年月をかけて毎日きちんと世話をしなければなりません。「桃栗三年柿八年」は、新しい挑戦をしても途中で諦めてしまう人や、すぐに結果を求めてしまう人に向けて地道な努力を積み重ねることの大切さを説いています。努力を続けた人は三年で一人前、少しだけ努力をした人は八年で一人前、努力をしない人は長年経っても一人前になれないことを表すことわざとしても使われます。
「桃栗三年柿八年」の語源・由来
「桃栗三年柿八年」は江戸時代に誕生したことわざだといわれています。もともとは書物に記載されていた表現ですが、当初は努力の大切さを説くものではなかったようです。このことわざは、どのように誕生して世間に広まっていったのでしょうか。
古くは江戸時代の『役者評判蚰蜒(げじげじ)』
1674年に発行された『役者評判蚰蜒(げじげじ)』という本の中に、「桃栗三年柿八年、人の命は五十年、夢の浮世にささので遊べ」という歌謡が掲載されています。「ささ」は酒を表していることから「人の命は短いのだから酒を飲んで楽しく遊ぼう」という享楽的な言葉が綴られています。この本の中では努力を重ねる大切さではなく、人間の寿命と比較するための材料として桃栗柿の収穫年数が使われていますね。
「大阪・尾張いろはかるた」のことわざ
江戸時代後期につくられ、全国的に普及した「いろはかるた」というものがあります。ことわざの頭文字をいろは順になぞらえてつくられたものですが、「大阪・尾張いろはかるた」の中に「桃栗三年柿八年」が登場しています。地道にコツコツと商売を続ける大阪や尾張の商人を表すのにぴったりな表現だといえます。
地域によって使われていることわざが異なる
「いろはかるた」は、地域によって使われていることわざが異なるのをご存知でしたか?おなじ「も」の札でも「江戸いろはかるた」では「門前の小僧習わぬ経を読む」が使われ、「京都いろはかるた」では「餅は餅屋」が使われています。
「桃栗三年柿八年」には続きがあった
「桃栗三年柿八年」には続きがあるのをご存知でしたか?地域によって異なるパターンがあり、さまざまな果物が使われています。中には果物を使わず人間の一生で表現したものもあるとか。どのような表現があるのかを解説します。
地域によってばらつきがある
「桃栗三年柿八年」のことわざの続きには、さまざまな果物が取り入れられています。地域によってパターンが異なりますので、バリエーションが豊かだといえます。
- 桃栗三年柿八年 枇杷(びわ)は早くて十三年
- 桃栗三年柿八年 梅は酸いとて十三年 柚子は九年花盛り 枇杷は九年でなりかねる
- 桃栗三年柿八年 柚子は九年で成り下がり 梨のバカめは十八年
- 桃栗三年柿八年 りんごにこにこ二十五年
果物ではないパターンもある
「桃栗三年柿八年」の続きには、果物ではないパターンもあります。
- 桃栗三年柿八年 女房の不作は六十年
- 桃栗三年柿八年 亭主の不作はこれまた一生
これらは人間が一人前になる様子を表現しており、女房は六十年経って一人前、亭主は一生かかっても成長し続けるといわれています。
収穫時期は事実
「桃栗三年柿八年」の年月は、正確な収穫時期があてはめられています。成就するためには年月が必要という意味のほか、農業初心者の方が収穫時期の参考として覚える目安としても活用されているのです。しかし、ことわざの続きに出てくる果物はもっと早くに収穫ができ、梨や柚子などは三〜四年、りんごは五年で収穫できるといわれています。収穫時期の目安となるのは、桃栗柿の3種類だけのようです。
「桃栗三年柿八年」の使い方と例文
「桃栗三年柿八年」は会話の中で使われることが多く、努力を続けることの重要さを伝えるための表現です。うまくいかなかいときや、途中で諦めてしまいそうな人を叱咤激励するために使用されることが多いです。
- 最初から結果は出ないので、「桃栗三年柿八年」という言葉を胸にもう少し頑張ってみよう。
- 昇進が決まったのは、「桃栗三年柿八年」で長年努力し続けた結果だ。
「桃栗三年柿八年」は、詩や映画にも使われている
「桃栗三年柿八年」は、ことわざとしての表現にとどまらず詩や映画の挿入歌にも使用されています。それぞれ「桃栗三年柿八年」の続きはオリジナルの解釈を創作しており、作者の心情や作中の登場人物の心の内を表しています。ここでは、「桃栗三年柿八年」がどのように使われているのかを解説します。
武者小路実篤の著書「武者小路実篤詩集」
明治18年に生まれた武者小路実篤(むしゃのこうじ さねあつ)は、著書である「武者小路実篤詩集」の中で「桃栗三年柿八年 達磨は九年で俺は一生」と表現しています。後半の「達磨は九年で俺は一生」は彼が独自に創作した表現ですが、この表現には由来があります。画家でもあった彼は自分なりの画風を求めていたのですが、「達磨大師が悟りを開くために9年もかかったのだから、自分は一生絵画の道で鍛錬し続けよう」という強い意志からこの表現が生まれたのです。
「時をかける少女」の挿入歌
1983年に公開された原田知世主演の映画「時をかける少女」では、「愛のため息」という挿入歌の歌詞の中に「桃栗三年柿八年」が登場します。「桃栗三年柿八年 柚子は九年で成り下がる 梨のバカめが十八年」という一番の歌詞と、「愛の実りは海の底 空のため息星屑が ヒトデと出会って億万年」という二番の歌詞で構成されています。
「桃栗三年柿八年」の英語表現とは
「桃栗三年柿八年」を直訳すると、収穫時期の説明になってしまいます。そのため英語表現では「桃栗三年柿八年」に似た慣用表現を持つ言葉に言い換えられて使用されます。
直訳すると説明的な文章に
直訳では、「桃と栗は収穫まで三年かかり、柿は八年かかります。」という表現になります。日本では慣用表現として使用されていることわざですが、英語に直訳すると果物の収穫時期の解説に聞こえますね。
Planted peach and chestnut seeds take three years to bear fruit, persimmons eight years.
慣用表現として使用する
「桃栗三年柿八年」の英語表現は「人の行動による果実が実るまでには、数年かかることがある」という慣用表現で表します。
It often takes time to bear the fruit of one’s action.
まとめ
「桃栗三年柿八年」は、物事を成し遂げるためにはそれ相応の年月がかかることを表すことわざで、コツコツと努力を続けることの大切さを説いています。それぞれの果物に関しては、実際の収穫時期を用いたことわざですので、桃と栗は実るまでに三年、栗は実るまでに八年かかるという豆知識としても活用できるのです。キャリアを積み上げていくビジネスパーソンや新しい挑戦を始める方は、このことわざを心の支えにして努力を積み重ねてくださいね。