「冥府魔道」の意味は、「常軌を逸したほどに怒りや恨みや復讐心にとらわれてしまうこと」です。難しい言葉のように思うかもしれませんが、由来を知ると、なるほどと思えることもあるでしょう。「冥府魔道」の由来、使われ方、類義語や英語について解説していきます。
「冥府魔道」の読み方・意味とは?
「冥府魔道」の読み方・意味を説明します。
「冥府魔道」の読み方
「冥府魔道」の読み方は「めいふまどう」です。
「冥府」(めいふ)と「魔道」(まどう)を合体させた造語です。
「冥府魔道」の意味
「冥府」の意味は「死後の世界。冥土。特に地獄のこと」です。「魔道」の意味は「悪の世界。悪魔のようなやり方。邪道。悪魔の住む世界」です。このうち、「悪魔の住む世界」は仏教用語です。
「冥府魔道」の意味は、「常軌を逸したほどに怒りや恨みや復讐心にとらわれてしまうこと。倫理や道徳を顧みず復讐のために人生を捧げてしまうこと」です。造語であるため、「冥府」の意味と「魔道」の意味を合わせた意味になっているわけではない点に注意しましょう。
「冥府魔道」の由来と「子連れ狼」
「冥府魔道」の由来と漫画作品「子連れ狼」について説明します。
「冥府魔道」の由来
「冥府魔道」の由来は、漫画「子連れ狼」にあります。「子連れ狼」の原作者である小池一夫による造語です。「子連れ狼」は、1970年代に雑誌連載された漫画で、1987年にはアメリカに輸出され、日本を代表する漫画作品として人気を博しました。
あらすじは次の通りです。主人公である剣術の達人・拝一刀は、柳生一族により妻と一族の命を奪われ、職も失います。謀反の濡れ衣を着せられた一刀は切腹を命じられますが、幼い息子・大五郎とともに逃げ出します。一刀は大五郎を乳母車に乗せて、柳生一族への復讐の旅に出ます。つまり、「子連れ狼」は復讐に人生を捧げた人物の物語です。
「冥府魔道」の「子連れ狼」の中での使われ方
テレビドラマ化、映画化された「子連れ狼」のナレーションでは、「冥府魔道を行く父と子」というフレーズが有名になりました。「冥府魔道」の意味は、「常軌を逸したほどに怒りや恨みや復讐心にとらわれてしまうこと。倫理や道徳を顧みず復讐のために人生を捧げてしまうこと」ですから、復讐の鬼と化した拝一刀の旅を形容するために作られた言葉です。
物語に合わせて新しい言葉を作り、ヒットまでさせてしまうのは、そうかんたんにできることではありません。「冥府魔道」は、小池一夫の類まれなる言語センスが発揮された創作物なのです。
「冥府魔道」の類義語・言い換え
「冥府魔道」の類義語・言い換えについて説明します。
「冥府魔道」の類義語
「冥府魔道」の類義語は、「阿修羅道」「修羅道」「修羅の道を行く」などです。
「阿修羅道」の意味は「六道の一つ。阿修羅の住む争いや怒りの絶えない世界。強烈な闘争心や怒りや執着の絶えない心」です。六道とは、仏教用語で、人々が生死を繰り返す迷いの六種の世界のことです。
「修羅道」は、「阿修羅道」を省略した言葉ですから意味は同じです。
「修羅の道を行く」は「阿修羅道を行く」と同じで、「阿修羅の住む争いや怒りの絶えない世界を生きていく。強烈な闘争心や怒りや執着の絶えない心を持って生きていく」という意味です。
「冥府魔道」の言い換え
「たとえ冥府魔道に堕ちるとしても絶対に復讐をやり遂げる」という例文を言い換えると、次のようになります。
- たとえ阿修羅道を行くとしても絶対に復讐をやり遂げる
- たとえ修羅道を行くとしても絶対に復讐をしやり遂げる
- たとえ修羅の道を行くとしても絶対に復讐をやり遂げる
「冥府魔道」と「阿修羅道」の違い
「冥府魔道」と、その類義語である「阿修羅道」の違いについて説明します。
「冥府魔道」の意味は、「常軌を逸したほどに怒りや恨みや復讐心にとらわれてしまうこと。倫理や道徳を顧みず復讐のために人生を捧げてしまうこと」です。
「阿修羅道」の意味は「阿修羅の住む争いや怒りの絶えない世界。強烈な闘争心や怒りや執着の絶えない心」です。
並べてみてもよく似た意味の言葉ですが、「冥府魔道」は恨みや復讐心というニュアンスが強い言葉です。一方、「阿修羅道」は争いや怒りというニュアンスが強い言葉です。「冥府魔道」と「阿修羅道」は、抱えている感情の種類によって使い分ける必要があります。
「冥府魔道」を英語でいうと?
「冥府魔道」を英語でいうと「vengeance」(復讐、敵討ち)、「revenge」(復讐、敵討ち)、「resentment」(恨み)、「grudge」(恨み)などになります。
そもそも「冥府魔道」は造語なのでぴったり当てはまる英語はありませんので、復讐や恨みという意味の言葉を探すしかありません。
「冥府魔道」の使い方と例文集
「冥府魔道」の使い方と例文を紹介します。
「冥府魔道」の使い方
「冥府魔道」は、「冥府魔道に堕ちる」「冥府魔道に落ちる」「冥府魔道に生きる」などと、「堕ちる」や「落ちる」や「生きる」という言葉と共によく使われます。
「冥府魔道」を使用するときの注意点
「冥府魔道」を使用するときは、常軌を逸した怒りや恨みや復讐心、倫理や道徳を顧みず復讐せずにはいられない執念を抱いているときです。
つまり、他人のちょっとした言動に怒りを覚えたという程度の、日常生活の中で感じる、すぐ忘れてしまうような一時的な怒りや憎しみについて使うのは適切ではない点に注意が必要です。特に、持続的な強烈な復讐心があるかどうかがポイントです。
「冥府魔道」の例文
「冥府魔道」の例文は次の通りです。
- たとえ冥府魔道に堕ちても、必ず復讐を果たしてやる
- そこまで言うなら冥府魔道に落ちることになってしまうがいいのか
- 冥府魔道に生きる身なのだから、そんな困難などものともしない
「冥府魔道」の漫画などでの使われ方
「冥府魔道」は、「子連れ狼」の中だけではなく漫画、アニメ、小説などの作品中でも広く使われるようになりました。「冥府魔道」の漫画などでの使われ方の例を紹介します。
ベルセルク
「ベルセルク」は三浦建太郎による漫画作品です。剣と魔法の世界を舞台として、剣士ガッツの復讐の旅を描いた物語です。海外でも単行本は出版されており、世界中で人気のある作品です。テレビアニメ化、劇場版アニメ化もされています。
「ベルセルク」の中で、「冥府魔道」と言う言葉が使われました。小池一夫は自身のツイッターで、「冥府魔道」は自分の造語であること、「ベルセルク」に使われていることに文句はないことについて述べた上で、「ベルセルクよ、色紙を送りなさい」と余裕のある楽しいコメントを書いていました。
疾風伝説 特攻の拓
「疾風伝説 特攻の拓」(かぜでんせつ ぶっこみのたく)は、佐木飛朗斗原作、所十三作画の漫画作品です。いじめられっ子の高校生浅川拓が、暴走族で喧嘩の強い転校生に憧れて不良になっていく物語です。
作品中に登場する暴走族には、チームごとにキャッチフレーズが決まっており、特攻服の背中に刺繍をしています。横浜の暴走族「魍魎」の背中には、「冥府魔道」と書かれています。おどろおどろしい「冥府魔道」という言葉が、暴走族のキャッチフレーズとしてぴったりなのです。
ニンジャスレイヤー
「ニンジャスレイヤー(NINJA SLAYER)」は、ブラッドレー・ボンドとフィリップ・ニンジャ・モーゼズの二人によるアメリカの小説作品です。日本でも翻訳されて出版されていますし、アニメ化もされています。近未来の日本を舞台として、ニンジャの抗争に巻き込まれて家族を殺された主人公フジキドが、ニンジャを殺す者であるニンジャスレイヤーとなって復讐すると言う物語です。
作品の中で、フジキドは「冥府魔道カラテ戦士ニンジャスレイヤー」と呼ばれています。この「ニンジャスレイヤー」と言う物語も、「子連れ狼」と同じく復讐の物語です。「冥府魔道」は、復讐のために人生を捧げる人物についてまわる言葉です。
まとめ
いかがでしたでしょうか?今回は「冥府魔道」について解説しました。
「冥府魔道」は「子連れ狼」の原作者である小池一夫による造語です。そのため国語辞典には掲載されていない言葉ですが、漫画やアニメや小説などに広く使われるようになりました。日常生活の中で感じる、すぐ忘れてしまうような一時的な怒りや憎しみについて使うのは適切ではない点に注意が必要です。
最後に「冥府魔道」のまとめです。
- 「冥府魔道」の意味は、「常軌を逸したほどに怒りや恨みや復讐心にとらわれてしまうこと。倫理や道徳を顧みず復讐のために人生を捧げてしまうこと」です。
- 「冥府魔道」の読み方は「めいふまどう」です。
- 「冥府魔道」は「子連れ狼」の原作者である小池一夫による造語です。
- 「冥府魔道」の類義語は、「阿修羅道」「修羅道」「修羅の道を行く」などです。
- 「冥府魔道」は恨みや復讐心というニュアンスが強い言葉で、「阿修羅道」は争いや怒りというニュアンスが強い言葉です。
- 「冥府魔道」を英語でいうと「vengeance」(復讐、敵討ち)、「revenge」(復讐、敵討ち)、「resentment」(恨み)、「grudge」(恨み)などになります。
- 「冥府魔道」は、「冥府魔道に堕ちる」「冥府魔道に落ちる」「冥府魔道に生きる」などと、「堕ちる」や「落ちる」や「生きる」という言葉と共によく使われます。