「ニヒル」という言葉は往年の映画スターなどに使われる、少し古い言葉のイメージがありますが、その本来の意味や正しい使い方はどうなのでしょうか?ニヒルの語源や類義語、日本で派生した意味合いなどもふくめて解説していきます。
「ニヒル」の意味とは
「ニヒル」という言葉には虚無的という訳が当てられます。何もなく空虚なさま、また冷たく醒めた様子を表す言葉です。その状態を表す場合と人の性格や様子を表現するときに使います。
虚無的 何もなく虚しいこと
ニヒル=虚無的とは全てのことに価値がなく無駄で虚しいことを表します。空っぽで何もないこと、つまり全てのものには存在する意味や価値がなく、何も心を動かすものがない虚しい状態を表します。
醒めた様子 暗く影のある様
ニヒルは人の性格や印象を表現するときにも使われます。ニヒルな考え方をする人には感情がなく、物事に対して冷たく醒めていて暗い影のある印象を与えます。全てのことは無駄で価値がないと考え、無関心で冷淡な態度をとるような人に対して、「あの人はニヒルな人だ」という使い方をします。
「ニヒル」の語源・由来
日常使われるニヒルという言葉は、どのように伝わったのでしょうか?ニヒルという言葉の語源はラテン語の「ニヒル=nihil」にあります。英語もラテン語を語源としていますが「ニヒリスティック=nihilistic」と様子や人を表す形容詞として使われる場合が多いです。
ラテン語での意味
ラテン語では、nihilは「無」という意味です。英語の「ナッシング=nothing」にあたる言葉で、そこに何一つない状態を表す言葉です。プログラミング用語で「何も示さないもの」を表す「Null」も同じ語源といわれています。
英語での意味
英語ではラテン語の「何もない」という意味から派生して、虚無的で無感情、物事に冷淡で醒めている、暗い影があるなど、人の様子を表す意味をもつようになりました。これが日常で使われるニヒルの意味になったのですが、英語においては虚無的=「冷淡で薄情」の意味に近く、ポジティブな意味はもちません。
「ニヒル」の関連語
ニヒルという言葉が広く使われれるようになった背景には、19世紀に起こった「ニヒリズム=nihilism」という哲学思想が大きく関係しています。ニーチェに代表されるニヒリズムの哲学が日本に紹介されることによって、知識人層からニヒルという言葉や概念が浸透してきました。
ニヒリズム
ニヒリズムは「虚無主義」と訳されます。ドイツの哲学者F.ヤコービが提唱しました。中世のヨーロッパは「神」が絶対的な存在でしたが、近代になり個人の自由が尊重されるようになってくると、これまでの宗教や政治権力を否定して、この世に価値のあるものや人間などは存在しないという考えが生まれました。
このニヒリズムの思想を発展させたのがニーチェです。ニーチェはニヒリズムを、信じるものが何もないことに絶望して投げやりに生きる消極的ニヒリズムと、全てが無価値だからこそ今を前向きに生きて新しい価値を生み出すという積極的ニヒリズムに分けた上で、積極的なニヒリズムを実践して自己肯定を目指すという「超人思想」を提唱しました。
ニヒリスト
ニヒリズムを実践する人のことを「ニヒリスト=nihilist」といいますが、特に19世紀後半の帝政ロシアにおける革命的民主主義者を指すことがあります。帝政ロシアのニヒリスト達は国家権力や貴族の特権を否定しますが、国家からの弾圧などに追い詰められ、次第にテロリスト的な手法を使うようになります。既存の国家や権力を否定する思想は無政府主義「アナーキズム=anarchism 」とも結びつきました。これに影響された他の国でも、過激なニヒリストが生まれ弾圧の対象となっていきます。
「ニヒル」の類義語・言い換え
ニヒルの類義語にはどのようなものがあるのでしょうか。ニヒルには「無」とか「虚無的な」という意味があるので、何もない状態や何をしても無駄で徒労に終わるという様子を表す「空虚」とか「無力」「無常」「無駄」などという言葉があてはまります。また、ニヒルな人という場合、「無関心」で「無感情」、または「冷淡」「淡々として醒めている」「投げやりな」「捨て鉢な」といった言葉に言い換えができます。
「ニヒル」の対義語・反対語
ニヒルがまったく何もない虚無を意味する言葉なので、対義語としては「実体のあるもの」「感じ取れるもの」となり、人の態度としては無関心や無感情と対極の「熱心で情熱を持った」状態を指すものになります。具体的には「存在感」「生存感」「満足感」「充実感」などや、物事に対する「興味津々」「欲望」「夢中」「達成感」などがあげられます。
日本での「ニヒル」の使われ方
日本で「ニヒルな二枚目俳優」などという場合、そこには「渋くてかっこいい」というポジティブな意味が含まれている場合があります。カタカナの「ニヒル」にはこのような和製英語的な語意があって、本来のニヒルの意味とは異なった使われ方をしています。なぜ日本だけ本来の意味にはない「ほめ言葉としてのニヒル」という意味が存在するのでしょうか?
日本ではポジティブな意味合いが加わる
往年の名俳優が亡くなったときなど、ワイドショーでは「ニヒルなキャラクターが人気でした」とか「ニヒルな演技で女性を魅了した」など、ニヒルをほめ言葉として使用しているのを聞くことがあります。英語でニヒルな人を表す、ニヒリスティックには「冷たくて感情を持たない暗い影のある」人というネガティブな意味しかありません。しかし暗くて影のある様子や、冷静で動じないニヒルな人の様子が逆に「知的でかっこいい」というイメージを与えたため、日本ではニヒルにポジティブな意味合いが加わって解釈されるようになりました。太宰治など無頼派の知識人達のニヒルな生き方やスタイルに対するあこがれなども、この背景があると思われます。
「クール」との混同
日本で使われる「かっこいい」という意味を含んだニヒルは、英語でいう「クール」に相当します。英語のクールには人に対して使うと「冷静でかっこいい」「素敵な」「いかす」などの意味があります。日本で使われるニヒルには、クールの意味が混同されてしまっています。元々は誤用なのですが、ニヒルに「かっこいい」という意味を含める使い方は広く一般的になっており、日本独自の意味をもつカタカナ英語という位置づけになっています。
「ニヒル」の使い方と例文
前述したようにニヒルには、本来の意味と日本独自の意味があるので使い方やシチュエーションに配慮する必要があります。ニヒルという言葉を使うときに注意することや、その使い方の文例を紹介します。
「ニヒル」を使用するときの注意点
日本ではニヒルという言葉はよい意味、悪い意味両方で使われます。話の受け手によって取り方が変わってしまう恐れもあるため、使うときには注意しなければなりません。特にほめ言葉で使う場合は、もともとの意味にはないことを理解して使用する必要があります。相手が外国人の場合や、本来の意味で理解している人の場合、逆の意味にとられてしまうことがあるので、フォーマルな場面や文書、目上の人やあまり親しくない人にほめ言葉としてニヒルを使うことは避けるようにしましょう。
「ニヒル」を使った例文
ニヒルを使った例文をあげてみます。ニヒルの本来の意味で使用した例文とほめ言葉で使った場合の例文に分けて紹介します。
まずはニヒルの本来の意味で使用した例文です。
- 彼はニヒルな性格だから、あんなに感動的な場面でも無表情だったよ。
- あいつはニヒルを気取っているけれど、実は照れているだけなんだ。
- ニヒルな暗殺者は、ターゲットの命乞いにも眉一つ動かさずに引き金を引いた。
- 彼のニヒルな考え方からすれば、お金や名誉なんて何の意味もない。
次はほめ言葉としてニヒルを使った文例です。
- 彼の端正な容貌とニヒルな言動に、女性ファンはメロメロだ。
- 少年達は彼のニヒルなふるまいにすっかりあこがれて、それを真似た。
- 彼の趣味は渋くて大人びている。知的でニヒルな彼の雰囲気にぴったりだ。
- どこか影のある彼のニヒルなまなざしは、彼女の母性を呼び起こした。
「ニヒルな笑い」とは?
「ニヒルな笑い」という言葉を聞くことがありますが、これはどういう状態を指すのでしょうか?ニヒルな笑いは「虚無感のある無感情な笑い」であり、表情は全く醒めきっている状態で目は笑っておらず、わずかに片方の口角を上るのみの笑いです。心には全く感情はなく、絶望感を含んだ笑いになります。よく「シニカルな冷笑」と混同されますが、シニカルな冷笑は相手に皮肉を込めた冷ややかな感情や「あざけり」をもった笑いになるので、無感情で虚無的なニヒルな笑いとはニュアンスが異なります。
ニヒルな笑いからイメージするのは、映画やアニメで悪役が何かをたくらんでいるときの笑みや、主人公に倒されて最期にフッともらす笑みです。ふとみせる絶望を含んだ笑いは魅力的に映ることもあります。その悪役がイケメンであればなおさらです。これもニヒルに「かっこいい」という意味が含まれる要因になったと考えられます。
まとめ
ニヒルには元々「無」「虚無的」「無価値」という意味があります。そして人に対してニヒルを使う場合は本来「無関心」「無感情」な様子、「冷淡」で「薄情」な状態を表すネガティブな言葉でした。しかし、日本に入ってきてカタカナ語となったニヒルは「かっこいい」「知的」「渋い」といったポジティブな意味を含むようになり、ほめ言葉としても使われるようになりました。そのためポジティブな意味は日本だけで通用する意味合いであって、本来の意味を考えるとその状況や相手によって誤解を招く表現でもあります。ニヒルという言葉を使うときには、よく意味を理解したうえで注意して使うようにしましょう。