「国破れて山河あり」は、変化の激しい人の世と変わらない自然とを対比し、深い感慨を表す表現です。ビジネスの場面では繁栄していたものが衰える場面で用いられます。「国破れて山河あり」の意味や使い方を、誤用や類語、英語表現も含めて解説します。
「国破れて山河あり」の意味とは?
「国破れて山河あり」は「くにやぶれて さんがあり」と読み、中国の漢詩を典拠として日本の古典にも用いられ、日本人になじみのある表現です。国語の授業で習ったという人もいるのではないでしょうか。もともとの意味と、ビジネスの場面での意味には少し違いがありますので紹介します。
もともとは深い感慨を表す表現
「国破れて山河あり」は直訳すると「国は滅んでも山や河はある」という意味で、戦乱のために国は滅びてもその周囲の山河は昔と変わらぬ自然の姿のままであるという感慨の言葉です。変化の激しい人の世と変わらない自然とを見事に対比しています。
ビジネスの場面ではネガティブな感情を表すことが多い
「国破れて山河あり」をビジネスの場面で用いると、以下の例文のようにネガティブな感情を伴うことが多くあります。
・あんなに栄えていた会社も倒産してしまった。「国破れて山河あり」の心境だ。
それまで繁栄していたものが衰退する状況で使われることが多く、しばしば変化の激しいビジネスの世界と「国破れて山河あり」の故事の情景とを重ねて用います。
「国破れて山河あり」の出典は?
日本人にもなじみのある表現の「国破れて山河あり」ですが、何に由来する表現なのでしょうか。出典となった漢詩やそれを引用した日本の古典を紹介します。
「国破れて山河あり」という表現は、中国唐代の詩人・杜甫(とほ)が詠んだ五言律詩「春望(しゅんぼう)」に用いられました。
杜甫は「詩聖」と称され、後世の詩人にも大きな影響を与えたました。地方長官を代々務める家に生まれた杜甫は、7歳で詩文を作り、14歳で文人の仲間入りをしましたが、24歳で進士の試験に落ち、各地を放浪しながら、30代半ばで都の長安に出ました。
「国破れて山河あり」の一節を含む「春望」が詠まれたのは杜甫46歳のときです。当時の唐の皇帝・玄宗(げんそう)は、楊貴妃(ようきひ)を寵愛して政治を怠り、そのために安禄山らが大規模な反乱を起こしました。755年から8年間続いたこの戦乱を安史の乱(安禄山の乱とも)と呼びます。この戦乱に巻き込まれた杜甫は、陥落した都の長安に幽閉されながら春を迎えました。その感慨を詠んだのが「春望」です。原文・書き下し文・現代語訳を紹介します。
【原文:書き下し文】
国破山河在:国破れて山河在り
城春草木深:城春にして草木深し
感時花濺涙:時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ
恨別鳥驚心:別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火連三月:烽火(ほうか) 三月(さんげつ)に連なり
家書抵万金:家書 万金に抵(あた)る
白頭掻更短:白頭 掻(か)けば更に短く
渾欲不勝簪:渾(す)べて簪(しん)に勝(た)へざらんと欲す
【現代語訳】
国都(の長安は)は破壊されてしまったが、山も川も昔と変わることなく存在している。
(荒れ果てたこの)都城には(いつもと同じように)春がやってきて、草や木が深く生い茂っている。
(この乱れた、いたましい)世のさまに悲しみを感じては、(いつもの春ならば楽しむはずの)花を眺めて涙をこぼし、
(家族と)離れ離れになっていることをうらめしく嘆いては、(楽しいはずの)鳥の声にはっと胸をつかれる。
(戦いの)のろしは幾月もの間ずっと続いてうちあげられて(=戦乱はいつ終わるとも知れず)、家族からの手紙は万金に価するほど貴重なものに思われる。
(悲しみのあまり)白髪頭をかきむしると、(髪の毛は心労のために)ますます短くなっていて、
冠をとめるかんざしをさすことが全くできなくなろうとしている。
漢詩の前半では、戦いによって荒廃した城内と変化しない自然とが対比され、後半では家族と離れ離れで年老いていく自身の不幸を嘆いています。「国破れて山河あり」の表現には、この漢詩で詠まれた情景や心情が根底にあることを心に留めておきましょう。
松尾芭蕉『奥の細道』にも引用され、日本でもなじみのある表現に
日本では、江戸時代の俳人・松尾芭蕉が『奥の細道』の中で、杜甫の漢詩の一節を引用しました。松尾芭蕉は「俳聖」と称され、後世にも大きな影響を与えた人物です。伊賀の国(現在の三重県)上野の下級武士の家に生まれ、仕えた主君の影響で貞門派の俳諧を学びます。その後、俳人として立つ決心をして江戸に出て、独自の俳諧を目指して多くの句を残します。
『奥の細道』は、門人の曽良(そら)とともに江戸から奥羽、北陸を経て、大垣に達するまでの旅を記録した俳諧紀行文です。芭蕉はこの『奥の細道』の「平泉」の段で、藤原三代の栄華を偲びつつ、「春望」の一節「国破れて山河あり」を引用しました。杜甫の漢詩を引用した箇所を原文と現代語訳で紹介します。
【原文】『奥の細道』「平泉」より
三代の栄耀一睡のうちにして大門の跡は一里こなたにあり。
秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。
まづ高館にのぼれば北上川南部より流るる大河なり。
衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落ち入る。
泰衡らが旧跡は、衣が関を隔てて、南部口を固め、夷を防ぐと見えたり。
さても義臣すぐってこの城にこもり、功名一時のくさむらとなる。
「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、
笠うち敷きて、時の移るまで涙を落としはべりぬ。
夏草や兵どもが夢の跡
卯の花に兼房見ゆる白毛かな 曽良
【現代語訳】
奥州藤原氏が、清衡・基衡・秀衡と三代にわたって築いた栄華も、ひと眠りする間の夢のように、儚く消えた。当時の平泉の表門跡は約4キロも手前にある。それほどに平泉は広大な都市であった。
秀衡の館の跡は、今や田野に変わり、彼の築いた金鶏山だけが昔の姿を残している。
まず、高館(衣川の館)に登ると、北上川が眼下に見える。それは南部地方から流れてくる大河である。
衣川は、和泉城のもとを巡って流れ、この高館の下で北上川に合流している。
泰衡(秀衡の次男)たち藤原一族の屋敷跡は、衣が関を間にした向こう側にあるが、南部地方との出入口を警備し、先住民族の侵入を防いだようだ。
それにしても、大義に殉ずる武士の一党が、この高館に立てこもり、主君義経を死守したのだが、その武功も一時のこと、今や戦場の跡は草むらと化している。
杜甫の詩にある「国は滅んでも山河は昔のまま、城は荒れ果てても春になれば草は緑となる」という句の通りだと、
笠を敷いて腰を下ろし、時が経つのも忘れ、悲劇を回顧しながら涙にくれた。
今、夏草深く生い茂るここ高館は、昔、武士たちが雄々しくも儚い栄光を夢見た戦場の跡である。
季語ー夏草(夏)
白い卯の花を見ると、義経の老臣兼房の、白髪を振り乱して戦った姿が目に浮かんでくる。
季語―卯の花(夏)
「国破れて山河あり」の類語表現は?
「国破れて山河あり」は、繁栄していたものが衰退する世の無常を表す表現でもあります。似た意味を持つ類語表現をいくつか紹介します。
栄枯盛衰(えいこせいすい)
「栄枯盛衰」は「栄えたり、衰えたりすること」という意味で、主に国家や人などについて使います。
・勢いのある企業だが、栄枯盛衰が世の流れ、先のことはわからない。
諸行無常(しょぎょうむじょう)
「諸行無常」はもともとは仏教の言葉で、「この世に存在する一切のものは常に変化して、永久不変なものはない」という意味です。平家物語の冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で有名な表現です。人の世は変わりやすく、世の中は儚いことを表現した言葉です。単に「無常」とも使います。
・世の中は諸行無常。なにも嘆くことはありませんよ。
盛者必衰(じょうしゃひっすい)
「盛者必衰」は「勢いの盛んな者も必ず衰える運命にある」という意味で、世の無常を表現した言葉です。この表現も平家物語の冒頭の「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」で有名です。
人の世の移り変わりを端的に表現しています。
・いつまでもあの会社の独占が続くわけではないでしょう。盛者必衰の理といいますから。
「国破れて山河あり」の使い方と例文集
「国破れて山河あり」はどのような場面で使うのが適切なのでしょうか。例文も踏まえつつ、使い方を見ていきましょう。
「国破れて山河あり」は繁栄していたものが衰える場面で使う
「国破れて山河あり」は繁栄していたものが衰える場面で使うことが多くあります。戦乱によって国が荒廃してしまったことを嘆く言葉や、人間の営みが自然の前ではいかに無意味かを表す言葉として使われます。
「国破れて山河あり」を使った例文
「国破れて山河あり」を使った例文をいくつか紹介します。
- 戦後の日本は「国破れて山河あり」の情景だった。
- 人の世はなんと移り変わりの早いことか。「国破れて山河あり」の感慨を覚える。
「国破れて山河あり」の誤用に注意!
「国破れて山河あり」には以下のような誤用もあります。間違った用法に注意し、正しい使い方を身に付けましょう。
「国敗れて山河あり」と書くのは間違い
「国破れて山河あり」の「破れて」を「敗れて」と書くのは間違いです。戦いや勝負で負ける際、普通は「敗れる」と書きますが、「国破れて山河あり」の「破れる」は「負ける」という意味ではなく「滅びて元の姿がなくなる」という意味です。
「国破れて山河あり」を、以下の例文のように「国は滅びても自然は変わらずあり続けるのだから、あきらめてはならない」という励ましの意味で使うのは間違いです。
×事業の失敗なんて気にするな。「国破れて山河あり」だから、まだまだあきらめるのは早いぞ。
「国破れて山河あり」は、戦乱によって拠り所がなくなり、家族とも離れ離れで年老いていくだけの不安な身の上を嘆いた詩で、その情景や心情を表現しています。「国破れて山河あり」に限らず、典拠のある表現は典拠となった作品の意味を踏まえて使うようにしましょう。
「国破れて山河あり」を自然災害の場面で使うのは間違い
「国破れて山河あり」で表現されている国土の荒廃は戦乱によるものです。以下のように、地震や台風などの自然災害によるものに使うのは間違いです。
×大型台風が直撃した都市を訪れ、「国破れて山河あり」の思いに駆られた。
ビジネス場面での「国破れて山河あり」の使い方と例文集
「国破れて山河あり」はビジネス場面ではどのように使われるのでしょうか。具体的な例文も紹介しながら、使い方を解説します。
辛い状況や厳しい状況を憂いて使う
ビジネス場面で「国破れて山河あり」を使う場合は、ビジネス業界の移り変わりの早さを嘆いたり、辛い状況や厳しい状況を憂いたりして使うことが多くあります。
ビジネス場面での「国破れて山河あり」を使った例文
ビジネス場面での「国破れて山河あり」を使った例文をいくつか紹介します。
- あんなに繁盛していたお店も閉店して、あっという間に更地になっちゃった。「国破れて山河あり」とはこのことだね。
- 事業が失敗し、従業員の多くも去ってしまった。まさしく「国破れて山河あり」の光景だった。
- この商店街も昔は多くの人で賑わったけど、今は「国破れて山河あり」だね。
「国破れて山河あり」の英語表現
「国破れて山河あり」を直訳すると「The nation is ruined, but mountains and rivers remain.(国は滅びるが、山河は変わらずありつづける。)」となります。
多くの日本の古典を英訳したことでも有名な日本文学者のドナルド・キーン氏は、『奥の細道』の英訳で、「Countries may fall, but their rivers and mountains remain.」と表現しており、こちらも有名です。
まとめ
「国破れて山河あり」は杜甫の漢詩「春望」を典拠として、松尾芭蕉の『奥の細道』にも用いられ、古くから日本人にもなじみのある表現です。戦乱によって国は滅びても自然は変わらず存在し続けることへの深い感慨が込められています。現代のビジネス場面では、移り変わりの早い業界を憂いたり、繁栄していたものが衰退することを嘆いたりする場面で用います。典拠となった作品の意味を踏まえて、正しく使えるようになりましょう。