会社勤めに疲れ、世俗のしがらみにもうんざりしたとき、ふと「世捨て人」を目指したくなります。ところで「世捨て人」ってどんな人?引きこもりは「世捨て人」なの?いりいろと疑問がつのる言葉でもありますね。類語との違いや英語表現を含めて解説します。
「世捨て人」の意味とは?
「世捨て人」とは、俗世間からの関係を断った人のことをいいます。一般的には宗教的な理由でそのような道を選んだ人を指すことが多く、僧侶などがその代表例です。
「世捨て人」とはどんな人?
厳しい戒律の中に身を置く僧侶の姿が「世捨て人」だとすると。それはなかなかに成り難いものに思えますね。生活上のトラブルなどが原因で、望まぬ形でそのような生活を余儀なくされている人もいるかもしれません。しかし、人とのかかわりの中で生きざるを得ない現代社会において、あえてそのかかわりを断って孤高の道を進もうとする人、という意味ではある種の憧れも感じます。その特徴を見ていきましょう。
忍耐力がある
俗世というと生きづらいような響きがあります。そこにはさまざまな誘惑があり、人の欲望を満たすこともできるので、その誘惑に身を任せることは心地よく、生きる喜びも感じやすいものです。こうした欲望からも脱却することを目指す「世捨て人」には、自ずから忍耐力が要求されます。僧侶の厳しい修行の様子などを見聞きすると、これは無理だ、と感じてしまいます。そうしたさまざまな制限に打ち勝つ強い決心が必要だからですね。
精神的な自立
人とのかかわりを断つことは、容易なことではありません。孤高な生活は、決して自由気ままなものではなく、社会に取り残されている不安との戦いでもあるはずです。そうした生活を送るために欠かせないのは、精神的に自立した、自信に満ちた心でしょう。取り残されている不安を振り払い、自分の進む道が正しいと信じるに足る、確固たるアイデンティティーが求められます。
深い洞察力
人とかかわらずに生きていくことは、すべてを一人で理解し、判断して行動することです。誰かに相談することはできず、周囲を参考にすることもできません。未知の出来事にも臨機応変に対応するために必要となるのは、深い洞察力です。知性と経験に基づいた洞察力なしに、一人で生き抜いていくことはできません。「世捨て人」はそういう意味で、賢者と呼ぶにふさわしい人物だと考えられます。
「世捨て人」の生き方
完全に人との関係を断って過ごしている「世捨て人」はそう多くないでしょう。僧侶であっても僧侶同士の交流や寺院を訪問する人との関係は保っています。広く世間一般との交流は求めない、という程度の「世捨て人」が多いのではないでしょうか。そうした「世捨て人」は、全く一般と違う生活をしているわけではなく、住居や仕事を得ている人がほとんどです。そんな暮らしぶりを見てみます。
住む
人とのかかわりを断つという点から考えると、都会に住むことは困難さを伴いますね。「世捨て人」といわれる人の多くが、地方の人口の少ない場所を選ぶのはそうした理由からでしょう。地方に住めばそれだけで不要な人付き合いから解放されそうな気がしますし、集落から外れた場所に住まいすればなお好適でしょう。しかし、隣の住人も知らない都会のマンションと、毎日のように寄り合いのある田舎町のどちらが「世捨て人」向きなのかは、一概にはいえないかもしれません。
働く
人付き合いを避けるとすれば会社勤めは難しそうです。自営業などで生計を立てる人が多いようです。そういう意味では手に職を持っている人、農作業の経験や木工技術などを習得していれば強みになります。IT技術の進んだ現代の「世捨て人」は、ネットで仕事を受けるネットワーカーも選択肢ですね。いずれにしても、自給自足を確立した人以外は、最低限の俗世とのかかわりを持たざるを得ません。
「世捨て人」の類義語と違い
「世捨て人」というと、引きこもりで外に出てこない人、のようなイメージを持つ人もいると思います。「世捨て人」にはそうした負のイメージもありますね。「世捨て人」の類義語を見ていくと、この言葉の持つ明暗が理解できます。4つ紹介します。
隠者
「世捨て人」とほぼ同義に用いられるのがこの言葉です。隠者は、思索や修行にふけることを目的として、一人で生活する人をいいます。「世捨て人」よりは俗世間との隔絶の度合いが低く、インテリ層の理想の生活のようなイメージがありますね。
仙
これは仏教の用語で、修行をする行者や修道者、また山にこもるなどして不老不死の秘術を体得したものを称する言葉です。不老不死まで来るとまゆつば物ですが、宗教的な理由で一人での生活を求めた人をいうわけです。「世捨て人」よりは、まさに俗世を離れ一段高い境地に至った求道者というニュアンスです。
ホームレス
ホームレスの中には、図らずも社会から隔絶されてしまい、懸命に求職して復帰を目指している方も多くいます。そうした人たちとは違い、自ら望んで家を捨て、自由闊達な生き方を求めた人たちも少なからずいて、こうした人たちは「世捨て人」と呼ぶに値するでしょう。最近は、高い住居費を節約する目的で、ネットカフェなどを渡り歩いてあえて定住地を持たない人たちもいるそうなので、ホームレスのイメージは一様ではなくなってきていますね。
ニート
ニートはNot in Employment Education or Trainingの略語で、雇用されておらず教育も訓練も受けていない人、という意味です。つまり、理由はどうあれあえて社会的な定位置を求めずに生活している人という意味で「世捨て人」に近いイメージはあります。大きな違いは、ニートは生活基盤を確立しておらず、自立的な生活を実現していない、という点です。「世捨て人」という言葉が持つような、孤高な道を行くイメージはニートにはありません。
「世捨て人」の使い方と例文集
「世捨て人」という言葉は、本来は強い決心をもってあえて俗世間を離れた人を指します。しかし何かと生きづらい現代においては、必ずしもポジティブな「世捨て人」ばかりでないのも事実であり、その語義は多分に皮肉を含んでしまっています。この言葉はどのように使えばいいのでしょうか?
「世捨て人」の使い方
「世捨て人」という言葉を他人に対して使うことはかなり気を遣います。皮肉に受け取られれば、せっかくリスペクトを込めたつもりだったのが台無しになりかねないからです。自分のことを話すときに使う場合を除き、前後の文脈で誤解を受けないと確信できる使用にとどめるべきでしょう。うまく使えば、孤高の道を歩むライフスタイルに対する最高の賛辞ともなり得ますね。
「世捨て人」の例文
- 会社勤めにはほとほと疲れたので、「世捨て人」を目指すことにします。
- 「世捨て人」として、山間の一軒家で自給自足の農業を営んでいます。
自分のことを述べる場合には、やや自嘲的な意味合いも含みつつ、しがらみから逃れた生活を表すのに使えます。自称「世捨て人」ですから、世間からはそう見られていない場合もあるので気を付けたいですね。
- 彼は仏道に帰依することを求めて「世捨て人」の道を選ばれました。
- 「世捨て人」として生きる道は決して安穏なものではない。
一般的な意味で「世捨て人」を使うときには、本来の意味である宗教的な理由による人やあえて隠遁生活を求めた人などにのみ用いるようにした方が無難です。ネガティブな意味での「世捨て人」という言葉は、誤解を受けやすいので、悪意があると受け取られることを覚悟して使わなければなりません。
「世捨て人」を英語でいうと?
欧米においても宗教者が「世捨て人」の生活を送ることは多いので、英語表現も複数あります。3つ紹介します。
hermit
・I like a hermit’s simple life.(「世捨て人」の質素な生活が好きです。)
もっとも一般的な単語がhermitです。日常の会話でも用いられます。
recluse
・He is a christian recluse.(彼はキリスト教の「世捨て人」だ。)
かしこまった表現で用いられるのがrecruseです。宗教的な理由での「世捨て人」に用いられます。
anchorite
・I want to be a anchorite.(わたしは「世捨て人」になりたい。)
これもかしこまった表現に用いられ、意図的に俗世を離れた人をanchoriteと表現します。宗教的な理由よりも、私的な理由の場合を指すことが多く「隠者」というニュアンスが強い表現です。
まとめ
仕事を引退した後に「世捨て人」を目指す人が多いのは、社会的な人付き合いに疲れてしまうからかもしれません。「世捨て人」を目指すのはよほどの覚悟が必要で、それを全うして生き抜くのは容易ではありません。人と付き合うのは良くも悪くも手間のかかるものですが、それを一方的に断ち切ることで楽になるとは限りませんね。