ことわざ「地獄の沙汰も金次第」の使い方を知っていますか?ちょっと物騒な響きの「地獄の沙汰も金次第」を徹底解説します。意味や由来、ビジネスではどんな場面に当てはまることわざなのかを確認してください。例文を盛り込み、わかりやすく説明します。
「地獄の沙汰も金次第」の読み方
「地獄の沙汰も金次第」は「じごくのさたもかねしだい」と読みます。「金」ではなく「銭」を使って「地獄の沙汰も銭次第(じごくのさたもぜにしだい)」ともいいます。どちらも意味は同じです。
文脈で変わる「地獄の沙汰も金次第」の意味とは
「地獄の沙汰も金次第」の意味は文脈によって、主に2つあります。それぞれ解説します。
単に「お金の力」を意味する場合
「この世の中は何でもお金で解決できる」や「お金がすべてを左右する」が、「地獄の沙汰も金次第」の意味です。単純に「お金の力は絶大だ」と表しています。仏教で「地獄」は死後に行く、最下層の世界です。「沙汰」にはいろいろな意味がありますが、ここでは「裁き」や「振り分ける」意味で使われています。「地獄の沙汰」は、どんな地獄に行くかを決める裁きです。つまり、そんな「地獄の沙汰」ですら、お金で有利になるものだという意味のことわざです。
皮肉っぽいニュアンスを含む場合
「世の中結局はお金だ」と皮肉を込めたニュアンスで、「地獄の沙汰も金次第」を使う場合もあります。「きれいごとを言っても、つまりはお金」など皮肉っぽく、揶揄するニュアンスが含まれます。
「地獄の沙汰も金次第」の由来・語源
「地獄の沙汰も金次第」の由来は不明ですが、日本ではかなり古くから使われていました。もともとは「地獄の沙汰も銭がする」といわれていましたが、江戸時代後期からはいまの「地獄の沙汰も金次第」になっていたそうです。
16世紀ごろには使われていた
室町時代後期の俳人・山崎宗鑑(やまざきそうかん)が編集した俳諧連歌撰修『新撰犬筑波集(しんせんいぬつくばしゅう)』に、「聞けばただ地獄の沙汰も銭なれや」の一節があります。『新撰犬筑波集』は卑俗で滑稽、風刺の利いた歌を集めたものです。
江戸時代にはかるたにもなっていた
18世紀には歌舞伎と文楽の演目『摂州合邦が辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』にも、「地獄の沙汰も金次第」の一節が使われています。江戸時代中期には、さらに滑稽本の「黄表紙(きびょうし)」や「いろはかるた」にも「地獄の沙汰も金次第」が登場。人々に広く知られることになりました。
中国にも似た意味のことわざがある
中国にも「地獄の沙汰も金次第」と似た意味のことわざ「有銭能使鬼推磨」があります。意味は「お金さえあれば、地獄の鬼にだって石臼をひかせられる」、つまり「お金さえあれば何でもできる」です。
「地獄の沙汰も金次第」の使い方・例文
「地獄の沙汰も金次第」を使った例文を挙げます。
- あんなに契約を渋っていたのに、契約金を倍額にしたらすぐに決断したようだ。やはり地獄の沙汰も金次第だね。
- 地獄の沙汰も金次第といいますが、人の心までお金で買えると思ったら大間違いです。
- 塾の費用は難関校コースほど高額で、まさに地獄の沙汰も金次第だ。
「地獄の沙汰も金次第」の類義語・言い換え表現
「地獄の沙汰も金次第」と似た意味のことわざを紹介します。いずれも「お金がものをいう」意味のことわざです。
「三途の川さえ渡し銭が要る」
「三途の川さえ渡し銭が要る」は「さんずのかわさえわたしせんがいる」と読みます。仏教で人は死ぬと船で三途の川を渡るとされ、そのときには渡し賃の六文銭が必要だといわれています。そこから「人は死んで三途の川を渡るときさえお金がかかる」、つまり「すべてはお金次第」の意味です。「三途の川も金次第」や「冥途(めいど)の道も金次第」、さらに「地獄極楽の道も銭」ともいいます。どれも「地獄の沙汰も金次第」と同じ意味です。
「阿弥陀の光も金次第」
「阿弥陀の光も金次第」は「あみだのひかりもかねしだい」と読みます。意味は「ご利益さえも賽銭の額で決まる」、つまり「お金の威光の大きさ」を表すことわざです。「阿弥陀も銭ほど光る」も同じ意味です。
「 金の光は阿弥陀ほど」
「金の光は阿弥陀ほど」は、「かねのひかりはあみだほど」と読みます。「お金の力は阿弥陀如来のご威光に匹敵するほどのものだ」、つまり「お金の力は絶大」の意味です。「阿弥陀の光も金次第」と言い回しが似ていて「お金の力は絶大」と結論は同じですが、たとえは異なります。「阿弥陀の光も金次第」は「阿弥陀様のご利益さえお金次第」、「金の光は阿弥陀ほど」では「阿弥陀様の威光くらいお金は力がある」。言いたいことは同じですが、別のことわざです。
「金が言わせる追従」
「金が言わせる追従」は「かねがいわせるついしょう」と読み、「金が言わする追従」とも書きます。「追従」は「おべっかを使う」や「他人に気に入られるよう媚びる」意味の言葉です。「金の力でおべっかを使わせる」、つまり「何ごともお金次第」の意味で使います。
「金があれば馬鹿も旦那」
「金があれば馬鹿も旦那」は「かねがあればばかもだんな」と読みます。「お金さえ持っていれば、本人の人柄や能力は問わずに旦那と持ち上げられる」ことから、「お金の威光は大きい」意味です。似た意味のことわざに「金の光は七光(かねのひかりはななひかり)」があり、「本人の力ではなく、お金の威光の大きさ」を表します。「お金の力の強さ」を意味する点が「地獄の沙汰も金次第」と同じです。
「成るも成らぬも金次第」
「成るも成らぬも金次第」は「なるもならぬもかねしだい」と読み、「物事が上手くいくか否か、成功するか否かはすべてお金が左右する」意味です。「すべてがお金に左右される」とする点で「地獄の沙汰も金次第」と同じです。
「金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる」
「金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる」は「かねさえあればとぶとりもおちる」と読みます。意味は「お金さえあれば、飛ぶ鳥を落とすことさえできる」、つまり「この世の大抵のことは、お金があれば解決できる」です。お金の力の強さを表している点が「地獄の沙汰も金次第」と共通しています。
「地獄の沙汰も金次第」の対義語
「金が敵」は「かねがかたき」と読み、「地獄の沙汰も金次第」と反対の意味をもつ慣用句です。「金が敵」の意味は2つあり、1つは「お金のせいで身を 滅ぼしたり、災いにあうこと」。もう1つが「お金はお尋ね者の敵のようなもので、そうそう手に入るものではない」です。「地獄の沙汰も金次第」は「お金さえあれば何でも思いのまま」の意味なので、「お金のせいで身を滅ぼす」の方が対義語にあたります。お金があれば、必ずしも幸せとは限らないの意味です。
「地獄の沙汰も金次第」の英語表現
英語で「地獄の沙汰も金次第」を表現すると、「Money makes the mare to go.(お金は強情な雌馬さえも歩かせる)」です。「Money opens all doors.(お金はすべての扉を開ける)」と「A golden key opens every door.(金の鍵はすべての扉を開ける)」も、「お金の力がすべてを左右する」を意味します。「Money talks.(お金がものを言う)」と「Money is everything.(お金がすべて)」は、お金の威光の強さを示す英語表現です。「地獄の沙汰も金次第」をほぼ直訳すると「Money is the best lawyer in hell.(地獄ではお金が最善の弁護士)」となります。「どんな場所、どんな状況でもお金さえあれば何とでもなる」意味で使います。
まとめ
「地獄の沙汰も金次第」は「お金の威光の強さ」や「この世の中はお金で左右される」の意味です。処世術として皮肉めいたニュアンスが含まれる場合もあります。「地獄の沙汰も金次第」はビジネスシーンでは、ふさわしい場面かよく考えて使いたいことわざですね。