「畏怖の念」という言葉をご存じでしょうか。かしこまった表現であるため、あまり聞き覚えがない方もいるでしょう。今回は「畏敬の念」の意味と使い方、類語や対義語・英語表現に加え「畏怖の念」との違いについても詳しく紹介します!
「畏敬の念」の意味とは?
「畏敬の念」という言葉を使ったことはありますか。比較的かしこまった表現であるため、 日常生活や普段のビジネスシーンで使うことは少ないでしょう。ただ、日本語の中にこのような表現があるのを知っておくのは大切なことです。ここでは「畏敬の念」の意味について、また「尊敬の念」との違いについて紹介します。
「恐れて敬う心情」を指す
「畏敬の念」は「崇高な存在を恐れ敬う」ことを表す言葉で、神様や仏様、大自然に対して使われる言葉になります。また、偉大な人や歴史あるものに対しても使われ、人智を超えた圧倒的な存在を形容する言葉です。「畏敬」の「畏」は「心から尊敬して服従する」という意味があり、努力ではどうにもならないような絶対的な存在に対して使われる言葉になります。
「尊敬」との違い
「尊敬の念」とは何が違うのかについて説明します。「尊敬の念」を用いる場合は、尊敬する対象が「畏敬の念」のように限定されていないのがその特徴です。自分が「すごい!」や「尊い」と感じたもの全てに対して使うことが可能です。一方、「畏敬の念」は絶対的な存在に対してのみ、自分と明らかにかけ離れた圧倒的なものを形容するときに使われる言葉です。つまり「クラスで一番勉強ができる子」には「尊敬の念」は抱くことはできても、「畏敬の念」は抱けないのです。
「畏敬の念」の読み方
「畏敬の念」は「いけいのねん」と読みます。「畏」は「おそれ」と読み「敬いかしこまる気持ち」を表す漢字です。他には「怖がる気持ち」や「よくないことが起こるかもしれない」という心配を表しています。
「畏敬の念」の類義語・言い替え
「畏敬の念」の類義語や言い替え表現を紹介します。ここで紹介する言葉は「崇敬」と「畏懼」です。類義語を理解することで、日本語のボキャブラリーを増やすことにつながります。それぞれの言葉の意味や使い方について紹介するので、詳しく見ていきましょう。
「崇敬」
「崇敬」という言葉は「すうけい」と読み、「神仏や立派な人に対する尊敬の気持ち」を表した言葉です。宗教的な色合いが強く、キリスト教や仏教においては「人間の立場にありながら信仰の対象となった人」つまり「聖人」に対する尊敬の気持ちを表す表現として用いられます。「畏敬の念」は尊敬の気持ちを表す対象は人ではないことが多いです。「崇敬」は人を対象とするので、「畏敬」との使い分けに注意が必要です。
「畏懼」
「畏懼」は「いく」と読み、かなり難しい読みの言葉になります。「恐れおののく」という意味があり、もちろん「尊敬」というニュアンスも含まれている言葉です。「畏」にも「懼」にも「恐れる」という意味があるため、同じ意味を重ねた熟語になります。「畏敬」とは異なり人に対して使えて、身分の低いものが身分の高いものに対して抱く恐れの気持ちを表現しています。
「畏敬の念」の対義語
「畏敬の念」という言葉の対義語を紹介します。ここで紹介するのは「見くびる」と「軽蔑」の2つの言葉です。反対の意味を持つ言葉を理解することで、それぞれの言葉が持つ意味やニュアンスを相対的に理解することにつながります。それぞれの言葉の意味や使い方について、詳しく見ていきましょう。
「見くびる」
「見くびる」は「大したことはないとあまく見積もること」「相手を見下すこと」という意味を持つ言葉です。「尊敬」という言葉の反対語になることはいうまでもありません。相手に対する敬意を払わず自分よりも格下だと判断したときに、相手に対して軽蔑的な見方をすることを指します。「彼は今期の試験問題を見くびりすぎた。成績はひどいものになるだろう。」というように使います。ビジネスシーンにおいても、見くびることで失敗する例は絶えませんので油断は禁物です。
「軽蔑」
「軽蔑」は「相手を自分よりも格下だと判断し、見下すこと」という意味を表します。この言葉も、「尊敬」の反対語であり軽蔑の対象は人になります。神仏や大自然というような超人的なものに対して使うことはまずありません。「蔑む」と書いて「さげすむ」と読まれます。他にも「侮蔑」や「蔑視」などという言葉もあり、そのどれもが相手を見下すというニュアンスを持つものになります。
「畏敬の念」と「畏怖の念」の違い
「畏怖の念」と「畏敬の念」の違いについて紹介します。これら2つの決定的な違いは、表現したい感情が「敬い」にあるのか「恐怖」にあるのかになります。ここでは2つの言葉の違いを詳しく解説した後に、「畏怖の念」を使うときの注意点について紹介します。
「畏怖の念」には「恐れおののく気持ち」がある
「畏怖の念」は「恐怖の気持ち」が強く表現されている言葉です。つまり、「人の力では到底かなわないものに対する恐怖」を表しています。例えば、天変地異による災害を怖がる気持ちは「畏怖の念」といえるでしょう。「怖い」という気持ちが強く、「大自然を敬う」というニュアンスは「畏敬の念」よりは薄くなります。逆に、「大海原を眺め、地球の大きさに心打たれる」というような場面においては、「畏敬の念」を使うのが適切になります。
「畏怖の念」を使うときの注意点
「畏怖の念」を使う時の注意点として、ただの恐怖心には使わないという点が挙げられます。例えば、殺人犯が近所に潜伏しているという状況をイメージしてみると、その際に感じるのは「ただの恐怖」です。それは「畏怖の念」ではありません。なぜなら、恐怖の対象が「人間」だからです。大自然に対する恐怖や超人的なものに対する恐怖にのみ「畏怖の念」という言葉を使いましょう。
「畏敬の念」を英語でいうと?
これは「畏敬の念」の英語表現を紹介します。「畏敬の念」という言葉は日本においてもあまり使われませんが、英語表現にすると「尊敬」のニュアンスと混在して使われています。一方、日本語では「尊敬」や「畏敬」や「畏怖」といったように、気持ちを表現する言葉が細かく分かれています。それだけ日本語は「 気持ち」に対して細やかなセンスを持っているのでしょう。
「awe」
「awe」 で「畏敬の念」という意味の英語表現です。例えば、「devoid of any feeling of awe or reverence」で「畏敬の念やすうけいに欠ける」という意味を持ち、「reverence」で「尊敬や崇敬」という意味になります。「reverence」については、次に詳しく紹介します。
「reverence」
先ほど紹介したように、「reverence」で「尊敬や崇敬」という意味になり、「Reverence your superiors!」で「目上を敬え!」という意味を持つ文章になります。「尊敬」という意味を持つ言葉の中ではハイレベルな単語ですが、もし知っていればかなりのハイレベルな英語力を有していることになります。知っておいても損はないでしょう。
「畏敬の念」の使い方と例文集
最後に「畏敬の念」の使い方とその例文を紹介します。日常生活やビジネスシーンにおいて、そう頻繁に使われる言葉ではないものの、日本語の性格を如実に表した言葉でもあります。こういった言葉を正確に使いこなせることは、高い日本語のリテラシーを有していることの証明にもなります。正確に日本語を使いこなすためにも、こういったマイナーの言葉を理解することは大切です。
「畏敬の念」の使い方
「畏敬の念」は「人智を超えた対象」にのみ使える言葉です。つまり、人とは比べられないほど巨大で偉大なものに対して使われることがほとんどです。「畏敬の念を抱く」や「畏敬の念に打たれる」といったような表現法が最もよく使われます。日常生活においても使われない事はありませんが、頻繁に使われる言葉でもないでしょう。
「畏敬の念」の例文
最後に「畏敬の念」を用いた例文を2つ紹介します。
- 悠久の時を経て、今なお存在する縄文杉に畏敬の念を抱いた。
- 伊能忠敬の日本地図を作るという想像を絶する使命の強さに畏敬の念を覚えた。
まとめ
「畏敬の念」とは「畏れ敬う心情」を表す言葉でした。「畏敬の念」は大自然や神様や仏様といったような、超人的な対象への尊敬や恐れの気持ちを表す言葉です。畏敬の念の近い言葉として、「崇敬」や「畏怖」といった言葉がありその使い分け方には注意が必要です。日常生活において頻繁に使われる言葉ではありませんが、こういった言葉もしっかり理解しておくことは大切です。